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切腹

子母沢寛の「剣客物語」に、以下のような話がある。

江戸時代のこと。伊予松山藩の松田某と小島某が酒席で口論になった。その場はおさまったが、松田が芝の赤羽橋を渡っていると、突然、耳のあたりが冷たい感覚に襲われた。振り返ってみると、先ほどの口論の相手である松田が刀を抜いて斬りかかってきたのだ。

松田は真影流の達人であったから、素早く小島の腕を押さえ込んだ。そこに同藩の友人たちがやって来た。「勝負をするので、ご一同お立ち会いを願いしたい」松田が言った。一同承知すると、松田と小島の決闘が始まる。

結局は小島が斬られて倒れてしまう。松田は小島にとどめを刺してから、小島の死骸に腰掛けて腹を切ろうとすると、一同が「ここは往来であるから屋敷に帰ってから腹を切るがよかろう」と言うので、松田は納得し、「おのおの方、申し訳ないが、ご迷惑ついでに、拙宅までお越しいただきたい」と言って一同を連れ帰る。さらに八方に使いを出して友人たちを呼んだ。家族にも暇を言い、形見分けを済ますと、堂々と腹を切った。それから自分の喉を切って倒れたが「まだ死ねぬ、まだ死ねぬ」と言って苦しみに身もだえする。その様子を見守っている一同が「いや、お見事でござる」と言うと、松田は、それに安心したのか絶命する。

一方、赤羽橋に晒された小島の死骸は、報せを受けた彼の実兄が自宅まで運んだ。「なにゆえ、かようなことに…」と、部屋に寝かされた小島の遺骸の前でうなだれる家族たち。ところが真夜中になって死んだはずの小島の目がぱっちりと開き「兄上、まだ死ねませぬ」と言った。兄は驚いたが、すぐに気を取り直し「気の毒だが、このまま生かしておくわけにはいかぬ」と自分の刀を抜いて弟にとどめを刺した。

子母沢寛「剣客物語」(文春文庫)より






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