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災害の多様性 安全靴の歴史(再掲載)


ミドリ安全は、東京都渋谷区広尾に本社を置く、安全衛生に関連する用品・機材の製造販売を行う「安全衛生のインフラ企業」です。特に有名なのが、安全靴、ヘルメット、作業服などの製品群です。

僕も普段はミドリ安全の安全靴を愛用しております(見出し写真を参照してください。このほかに5足所有しています)。安全靴は昔のような作業現場用のイメージはありません。足先を守る先芯は、重い鉄製から軽い樹脂製に姿を変えており、デザインも新たに明るい色使いのスポーツシューズ製品もあります。

以下の文章は「安全靴の歴史」と題して、岡山県のフリーペーパー「BlueRecord」に掲載させていただいたものです。

「安全靴の歴史」

江戸時代までの日本人の履物は「草履」が基本でした。足全体を包む密閉された履物ではないので軽くて通気性が良い草履が主流だったのです。用途によって「下駄」「草鞋(ワラジ)」を履き分けていました。職人たちに重宝されていたのが下駄で、それぞれの用途に応じた創意工夫の下駄が存在していました。幕末には開国と同時に西洋から革靴が入ってきます。ブーツを履いた坂本龍馬の写真が有名です。

またアメリカに派遣された武士たちは渡航船の中で草履のせいで苦労したり、アメリカ人たちが土足で室内生活するのを目の当たりにして、革靴の合理性を実感したのです。明治3年(1870)3月15日、築地の隣町の入船に西洋靴の製造工場が完成しました。最初に作られたのは軍靴でした。1「安全靴の起源」
■江戸時代までの日本の履物は基本的に「下駄」「草履」「草鞋(わらじ)」の3種類でした。木の板に鼻緒を付けて履けるようにした下駄。主に植物などの柔らかい素材を使用した草履。藁で編まれ、足から履物が外れないように長い緒を足首で結ぶ草鞋。それぞれは用途に応じて履き分けられていました。
■江戸時代の一般市民の主流の履物は草履でした。軽く通気性が良い草履は町履きに最適でした。草鞋は緒を足首に結びつけることから足への密着度が高く、山歩きや長距離歩行の際に使用されました。もうひとつは下駄です。高級なものは桐製のような軽いものはあるものの、ほとんどの下駄は樫や朴などの硬い木で出来ていて、靴底と踵に当たる2本の歯は、地面から数センチ高くなっています。これで地面の危険物を回避できるのです。つまり踏み抜き防止というわけですが、日本における安全靴のルーツという感じですね。
■下駄のルーツは足駄(アシダ)です。古代、足の下に履く物を「アシシタ」と呼んでいましたが、それがなまってアシダと呼ぶようになりました。■日本では弥生時代以降に稲作農業が中心となると、様々な変わった農業用の履物が考案されました。総称して田下駄と言いますが、「枠大型田下駄」「台付田下駄」「板型田下駄」「株切り下駄」「踏鍬下駄」「足桶」などたくさんのバリエーションがあります。それぞれ地面の踏み均しや、冠水時の作業に使われたり、刈り取った後の古い稲株を切ったり、水中での作業に使うなど、用途によって考案されていました。
■安全靴のような使われ方をしたものに職人たちが履いた「トコゲタ」があります。これはタタラ(製鉄小屋)で小屋の熱い床で火傷しないように履かれていた杉や檜製の下駄です。
■一方、あまり履かれることがなかった皮沓(カワグツ)にもアイヌの鮭皮沓(チェップケリ)や江戸末期の足袋沓(タビグツ)など耐滑を考えたものがあります。鮭皮靴は背びれの部分が靴底に位置し滑り止めになっていますし、足袋沓の靴底には滑り止めの鉄の鋲が打ってありました。2「福沢諭吉も驚いた」
■幕末の開国と同時に皮靴が流入してきます。坂本龍馬のブーツの写真が有名ですね。福沢諭吉の「福翁自伝」には自身が安政6年(万延元年)に咸臨丸でアメリカに渡ったときのことが書かれています。そこには「咸臨丸の日本人水夫たちはみな草履ばきで、サンフランシスコに到着した際には海水が染み込んでボロボロでみすぼらしかったので、艦長が長靴を買ってくれて格好がついた」ということが書かれています。ちなみに同書には、勝海舟も船長として同乗していましたが、船酔いで役たたずだったとも書かれています。
■さらにサンフランシスコでは高価な絨毯が敷かれた上を土足で歩く西洋人に驚いたと書いています。ここで重要なのは「土足で建物の中を歩く」ということです。日本では古代から靴らしきものがあっても、靴を履いたまま建物の中を歩くということをしませんでした。
■その経験が活かされたのか文久元年には「軍艦担当者は戦中に限って皮靴を履いてもいい」というお触れが出ています。
■それから幕末の動乱を経て明治時代になると急速に西洋文化が取り入れられます。皮靴を履く人も増えてきますが、履きなれないものを履くので足にマメができて大変な騒ぎになりました。
■文明開化の拠点となったのが東京の築地居留地でした。街には各国の外交官が行き交い、協会が建ち、ミッションスクールも誕生しました。しだいに周囲には西洋の生活用品を売る日本人も増えていきます。
■明治3年(1870)3月15日、築地の隣町の入船に西洋靴の製造工場ができます。大村益次郎に奨められた佐倉藩士の西村勝三という人が創設したのです。この3月15日が「靴の記念日」になりました。最初に作られたのは軍靴です。ちなみに明治初期の日本軍の軍靴は牛革に油を染み込ませた茶利革(チャリカワ)を用い、手縫いで作られていました。チャリカワというのは海外技術者チャールス・ヘンニクルの名前から命名されたものです。3「日本独自の創意工夫が生かされる」
■安全靴とは「着用者のつま先を先芯で守り、靴底に滑り止めを備えている」(JIS T 8101規格)靴のことを言います。要は着用者の足を守る履物です。我が国では古代から主に職人たちによって下駄や草履や足袋などに創意工夫が成されました。前回も触れましたが、古くは「皮沓(クツ)」と呼ばれてアイヌの鮭皮沓(チェップケリ)や江戸末期の足袋沓(タビグツ)などのように靴底に滑りどめの工夫が施されたものが存在しました。さらに農業用の下駄、製鉄小屋で暑い床板から足を守る専用の下駄がありました。明治になって積極的に西洋文化が取り入れられるようになると、靴も一般社会に普及します。かつての武士集団も国家軍隊化すると、国産軍靴を製造する工場も築地に完成しました。
■軍靴も兵の足を守る安全靴です。初期の頃の軍靴は不明ですが、調べてみると各国の現行軍靴には先芯が入っており、自衛隊の戦闘靴にも先芯が入っているようです。後述しますが今の安全靴の基礎は、実は米国や英国の安全靴製造技術と規格の研究によるものですが、安全靴の登場までは、明治、大正、昭和…と、時代を経ねばなりません。
■さて、安全靴に話を戻しましょう。太平洋戦争終戦直後…このあたりから安全靴の原型とも言える履物が現れます。当時の労働者が一般的に履いていた履物は「板裏草履」と呼ばれるもので、底に厚い桧板を取り付けた草履でした。桧板は作業場に転がる金属の破片で足裏を踏み抜いて怪我をしないように取り付けられたものです。
■しばらくすると足の指を保護する目的で、金属板を打ち叩いてドーム型にしたものをつま先に取り付けたものが作られました。つま先をぶつけたり重量のあるものを落としたりして足の先を怪我することが多かったからです。■この踏み抜き防止と、つま先保護のために考案されたものが「爪掛式板裏草履」と呼ばれ、日本の安全靴の原型と言われます。鉄鋼、造船所などで使用されました。
■同じ頃に安全靴としての機能を持った靴の試作開発が開始されていました。最初の安全靴のような靴は、進駐軍から払い下げられた自動車タイヤとズック(帆布)を使用し、軟鋼板の先芯を入れたものでした。形だけは今の安全靴に近くなりました。

■日本安全靴工業会のサイト(http://www.anzengutsu.jp/)に「安全靴の歴史」がありました。引用してみます。昭和26年(1951)に、米国へ視察旅行に出かけていた当時の労働省安全課の担当者が米国から安全靴を持ち帰って来ました。その靴を解体して安全靴の研究開発が開始されました。昭和32年(1957)には、米国戦時規格(米軍が必要とする様々な物資の調達に使われる規格 )を翻訳して研究を基礎とした「グッドイヤーウェルト式革製安全靴の規格(JIS S 5028)」が制定され、昭和36年(1961)年には英国のジョン・ホワイト社の技術を導入して、直接加硫圧着式(VP式:バルカナイズ式製法。足の甲部周辺を中底に釣り込んだ後、加硫圧着機に装着し、未加硫ゴムを挿入し、加熱加圧成形しながら底部”表底及びかかとを含む”を加硫圧着する製法)安全靴の製造が開始されます。これを元にJIS規格(JIS S 5030)が制定されました。昭和47年(1972)には、現在の安全靴規格の元となるJIS規格(JIS T 8101)が制定されました。つまり、アメリカの安全靴と規格を研究しながら、JIS規格を経由して現在の安全靴の姿となったわけです。

「まとめ」

■まとめです。現在の安全靴は海外由来の姿とわかりましたが、古くは草履主体の日本人の履物の中に、農耕や町の職人たちそれぞれの用途に応じた草履や下駄や草鞋が登場しました。それらのほとんどには「足を守る」という発想があって、これらの特殊な履物が日本製安全靴のルーツなのです。4「安全靴は防災にも対応する」
■安全靴は、重量のある機械や部品を製造する工場や建設業などの足への危険を伴う現場で、足を保護することを目的とした靴です。足を保護するには安全靴が一番です。僕は防災対策の一環として普段からブーツタイプの安全靴を履いています。もちろん先芯は軽い樹脂製のものです。つま先の先芯と踏み抜き防止(靴底に薄いステンレス板が入っています)のための機能を持った僕の安全靴は、被災対策には欠かせない靴だと思っているからです。■2011年の東日本大震災時の被災地の映像を見た僕は、瓦礫の中を裸足に近い状態、もしくは普通の靴で歩いている被災者の姿を見て、心を打たれました。瓦礫の中を歩くには足指の保護と、踏み抜きを防止できる機能を持った安全靴が最適です。できるなら足首まで覆う長靴タイプが良いと思います。今の安全靴は先に述べたように樹脂製先芯のものが登場しており、通勤靴よりも軽く、履き心地も良くなっています。

僕の愛用安全靴 ミドリ安全ハイベルデ・コンフォートとプレミアム・コンフォート
僕の愛用安全靴 簡易防水スノーシューズと防止シューズSL-603 P-5

「防災訓練に安全靴を必須とすれば?」

■今後は首都直下型地震や南海トラフ地震などの発生も予測されています。さらに台風や竜巻に集中豪雨など、こういった想定外の身体的な被害を最小に抑えるためにも僕は今後も安全靴を愛用したいと思っています。

◆防災シューズとして最適なミドリ安全の「SLー603 P-5」


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