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災害の多様性「占領謀略事件」肆

「匿名・流動型犯罪グループ」

栃木の山中で男女遺体遺棄された事件。
その事件で「自分が関係しているかもしれない」と都内の交番に自首?してきた男・・・しかし、調べてみると栃木の現場には行っていないことがわかった。うーん・・・不思議な話ですね。

この事件って何かに似てる・・・うーん、そう、下山事件ですね。下山事件というのは“GHQの一部の粗暴な人間たちによる”謀略事件だと言われていますが、GHQ側の人間は多分、下山殺害実行犯に加わっておらず、単なる依頼主だったと思われます。それは三鷹事件、松川事件といった鉄道事件でも同じでした。

今回の栃木遺体遺棄事件も、依頼主が反社会的な半グレ集団に仕事を依頼したものだと思われます。

事件というのは、糸口が見つかればいつかは解決できるのですが、その糸口が“目眩まし”だったとしたら、事件は複雑になり、解決への道は遠くなります。半グレ集団が「お前、自分が事件に関係しているのではないか?って警察に出頭して来い。断るまでもないが俺の名前を言ったらお前だけでなく、お前の家族も皆殺しにするぞ」と命じられて出頭するのですね。

出頭した男は、被害者を殺める道具を購入して下準備を行なったようです。そして自分の飲み知人2人(深くは知らないと言っています)に、「被害者を拉致して殺害し、遺体にガソリンをかけて焼け」と指示したようです。

半グレ集団ですから、実行犯たちは、お互いを深くは知らない人間です。これはルフィ強盗事件と同じ手法なのです。こういう集団を「匿名・流動型犯罪グループ」と呼んでいるようですね。特に新しいわけじゃないです。古代の昔から犯罪者たちがよくやる手法です。ただし、彼らは根っからの「凶悪犯罪者なだけで頭が良いわけではありません」から、証拠を残したり、不自然な遺留品があったり防犯カメラに映り込んでいたりするのです。昔だったら迷宮事件化しましたが、今はそうではありません。

それでも事件が減らないのは、凶悪予備軍がたくさんいるからです。

人間の本質は「凶暴」です。しかし、長い時間と幾多の不幸を経験し、その本質はルールや法律と個々の正義と道徳観によって、表面的には人間としての道を踏み外さないようにしています。それでも道を踏み外した人間は集団となって、武士だとか兵士だとか愛国者だとかヤクザだとかに名前を変えて脈々と存在し続けてきたのです。その集団の本質は凶暴と卑怯な謀略に満ち満ちており、昔のヤクザの「カタギには手を出さない」という正義感さえなくなっているのです。

下山事件は、GHQのG2(参謀第2部)が、日本の愛国者を名乗る半グレ集団に命じて殺害、さらに下山の遺体を小菅まで運んだのです。そこで即席で集められた遺体遺棄グループの人間たち数人に命じて下山の遺体を線路上に置かせて死後轢断させて“自殺偽装”させたのです。ところが、死後轢断の状況が不自然であり、あまりにも杜撰だったので、警察や報道が他殺説に傾いてしまったのです。でも、それで良いのです。自殺なのか他殺なのか犯人は誰なのか?結果的に目眩ましは成功したのですから。

現在のように防犯カメラが街のアチコチに設置され、個人個人がスマホを持ち歩いていつでも特ダネ記者になれる時代であれば、下山事件に三鷹、松川の鉄道事件も帝銀事件、札幌の白鳥事件も、時代が代わって三億円事件も、さらに時代が代わって世田谷一家殺人事件でさえも、迅速に解決できたと思われます。

つづく

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