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選挙野郎!!衆議院議員選挙 漆

その日は早朝から駅頭活動だった。駅頭は午前6時から8時までの間に駅の改札口に陣取ってミニ演説を行なうのだ。

選挙時ではなくても「地元密着」を重要視する議員なら月に1~2回は地元の駅で「おはようございます。今日も1日頑張って下さい」などと挨拶しながら自分の「広報チラシ」を配る。広報チラシには自分の毎月の政治活動報告が書かれている。

この広報チラシも自分たちで制作する。昔はガリ版刷りだったが、この頃(架空の話だが2012~2014年頃である)はパソコンで編集し、簡易印刷機で印刷して、それを自動紙折機で折り込んでいた。これがまあまあ大変な作業なのだ。翁の事務所の機械は古く、特に自動紙折機が紙詰まりを起こすとなかなか復旧できなかった。今は当然のようにオンデマンド印刷になっているかもしれない。

選挙チラシは、選挙時に認証された限定枚数を配るので自前で印刷はできない。選挙のために「公約」が印刷されたものだ。前に書いたように選挙管理委員会から配布された認証シールを貼らなければならない。配布されたシールの数以上を配布することはできないが、この時は既にシールを貼ったチラシはなくなっているので、本来ならば公選法違反であるチラシを配ることになった。といっても、選挙運動終盤時には、いずれの候補者も皆同じで認証シールが貼られていないチラシを配ることになる。

冬の駅頭は辛いが、真夏よりはいい。僕は暑さに弱く、すぐに熱中症になってしまう。現に、このあと行なわれる参議院議員選挙の選挙活動時に何度も死にそうになった。

早朝の5時の電車に乗って隣の駅で乗り換えて目的の駅には5時45分に着いた。既に村野たちが車で到着していて、コーンと虎バーを下ろしていた。僕は、そこまで走って「おはようっす」と挨拶してからノボリが取り付けられたポールをガチャガチャと下ろした。

「あ、清弘さん、それを駅の改札まで頼んます」村野が言った。

「はい。改札口前にこれを置いてから、チラシを運びますね」

「おおきに、そうしてください」

ノボリを5本抱えて駅の改札まで走る。ちょうどそのとき、改札口からボランティアのチラシ配布員たちが4人出てきた。

僕は「おはようございます。今日はよろしくお願いいたします」と言って頭を下げた。それから「今、チラシを持って来ますね」と言って村野が運転してきた選挙活動車に向って走った。

「清弘さん、これ2つ持っていって下さい」と言ってチラシがパンパンに入ったトートバッグを渡した。

「はい」トートバッグを両肩にひとつずつかけて改札口に走る。

改札口に着くと、ボランティアたちは何も言わずにトートバッグから手に持てるだけの約100枚ずつのチラシを掴んで改札口から少し離れた左右に立って改札から出入りする乗降客にチラシを渡し始める。

時計を見ると6時10分前だった。慌てて僕はノボリを立てる。改札前には水が入ったスタンドにノボリを差す。残りのノボリは、駅前の柵や柱に荷造り用の平べったいゴム紐で括り付ける。結びは駅頭終了後に解体しやすいように結ぶ。平べったいゴム紐は、ほどきやすくほどきにくいという特性がある。

「清弘さん、そこは駅の所有物やからあきまへんわ。もちっと向こうに付けてくださいな」

「あ、はい」

駅というか鉄道会社の所有物に取り付けてはいけないし、チラシを配布する場所も鉄道会社の所有区域で手渡すことはできない。

そのとき、候補者の翁がやって来た。翁を見るとボランティアを含めた全員が「おはようございます」と挨拶して頭を下げた。

「ああ、皆さん、いつもありがとうございます」と言いつつボランティアに握手をしていく。

ようやく、ノボリを取り付けると、トートバッグからチラシを掴み取って改札の近くに立った。それを見た村野が「清弘さんは、あっちをお願いしますわ」と言って改札から離れた駅の出口付近を指さした。

住宅街から駅の改札に向う。時計を見ると6時を過ぎている。通勤のために駅に向う人々に片っ端からチラシを渡す。チラシの渡し方にも秘訣がある。できる限り近づいて鞄を持っていない空いている手を狙う。身体に触れたり、立ち塞がったり、無理強いは問題になるので、できる限りの愛想笑いをしながら「おはようございます。翁でございます。マニフェストが書かれています。よろしければお読み下さい」と言いながら、相手が手に取りやすい角度でチラシを突き出す。

従来の選挙時には、その大半は受け取ってくれるのだが、翁が所属する民所党の政策が失敗してからは悪い評判が定着し、多くの国民からそっぽを向かれる状態になっており、配布しても手にしてくれる人間は少なかった。そればかりではなく「議員やめろ」「票入れねぇよ」「早く解党しちまえ」「クズ」といったような言葉を浴びせかけられるだけでなく、なかには肩を掴まれて「お前ら、民所党か? お前らのせいで日本はダメになったんだぞ。だいたいさぁ何のために政権交代したんだよ…」と、延々と説教を始める高齢者もいる。こういう人は、どういうわけか朝からお酒が入っていたりする。

翁のミニ演説が始まった。まずは村野が前説の芸人のように挨拶する。

「おはようございますぅ。翁でございますぅ。衆議院議員を4期務めさせていただき、3期目には国交副大臣を務めさせていただいた翁でございますぅ。今、お配りさせていただいているチラシにはマニフェストが書かれておりますので、どうかお手にとってご覧下さい。さぁ、それでは翁からお話しさせていただきますので、よろしくお願いいたしますぅ」

既に改札口に向う乗降客は増えている。この駅は東京の企業に通う20代~40代の男女のベッドタウン「保戸野ニュータウン」の最寄り駅になっている。誰も足を止めて翁の演説など聴くものはいない。それでもいいのだ。翁の存在さえ有権者たちに確認させるだけでいいのだ。

「皆さん、お仕事ご苦労さまでございます。翁でございます。さて、衆議院議員選挙も間近に迫って参りました。マニフェストに書かれているとおりに民所党の政策を実行するとともに我が地元の皆様にとって…」

そのとき秘書の田村の車がロータリーに止まったのが見えた。真っ赤なミニクーパーだ。車から田村が出てくるや血相を変えて走って来て、僕の傍らまでやって来ると村野に向って手招きした。

それを見た村野が大げさに驚いて田村の元まで走ってきた。

「どうしはったんですか?」

「今日の夕方、ここで強欲党の大泉晋太郎が応援演説をするんですって」

「ええ、ほんまでっか? そりゃあかんわ。きやつは人気者やから。ぎょうさん人が集まりまっせ」

日本強欲党の大泉晋太郎は、6年前まで総理大臣だった大泉晋三郎の息子で、親の七光りで大量の現地票を獲得して衆議院議員になった。当の本人も選挙活動中だが、地元での当選は確実だったので、強欲党の看板となって全国津々浦々を飛び回っていた。

僕は村野と田村の話を聞きながらチラシを配っていた。そのとき、黒服を着た会社員らしき男が小走りでやって来て、僕の身体に強くぶつかった。油断していた僕は勢いで尻餅をついてしまった。

黒服の男は、僕の顔をチラリと睨みつけて「バカヤロウ!危ねぇじゃねぇか!」と叫んで改札口に消えていった。

「痛ててて…」村野が僕の手を掴んで立たせながら「清弘さん、油断したらあきまへんわ。僕たちは嫌われもんなんでっせ。今後も気をつけて下さいね」

「はい…」お尻が痛い。

「清弘さん、事務所に戻ったら夕方の大泉対策を考えまっせ」

「はい…」お尻が痛い。

改札口を見ると、翁がまだ演説を続けていた。翁の年老いた姿を若い大泉晋太郎と重ねて憂鬱になった。

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