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いま、ここ「足るを知る」がわかった気がする②

こんにちは!
ブラジル🇧🇷大好き💖くみこamobrasilです🥰

自己紹介はこちらです!
https://note.com/kumikobrasil/n/n4e61ee270718

前回の続きです。

いま、ここ。

今この瞬間が奇跡で、すばらしい。

けれど、、、、

人間の頭の中はいつも忙しい。

過去のことやこれからのこと、頭の中は今ここになく、お留守気味。

私も、そうだ。

自分で多少の自覚があったから、

せめて食事のときは、食べることに集中する。

目で確認し、よく噛み、味わう。

生きている。

瞑想もそれだろう。

なるべく、自分の生活の中で、今ここを大事にして生きていきたい。

今はそう思う。


ところで、人が幸せじゃない感覚は誰が作っているのだろう?

ここで、「足るを知る」という老子の言葉が出て来る。

この言葉をみなさんはどうとらえていますか?

もしかしたら「身分相応に満足することを知る」だと思っていませんか?

私はこの言葉の意味は、

「自分が自分の内側にすでに持っていることを知る」

「自分はこのままで価値があり、この命、生の満足を知り、感謝すること」

だと思いました。

国や地域によるけれども、食べるものも住むところも困らない今の時代、

人は自分が持っていないものにばかり目がいきがちです。

あの人の方が稼いでいる、あの人の方が人気がある、など数字に翻弄されたり、あの人はあんなことが出来てすごい、あの人は幸せそう、


それに比べて私は、、、、、、


と他人と自分とを比べて、自分が持っていないものばかりに目が行って、自分の中の不足ばかりを探しに行く。

誰かにあって自分が持っていないものを見つけて、それを自分も手に入れてみても満たされず、自分がほしいものじゃなかったんだとまた自分に不足している何かをわざわざ探しに行って、その違う何かを手にいれてみる。

でも結局満足しない。

幸せじゃない。

これでもない。これでもない。

これを死ぬまでずっと繰り返すことになる。

これって「足るを知らない」んだと思うんです。

自分がすでに持っているもの。

自分の内側をちゃんと見る。

自分のことは自分でよくわからないけど、人を通して自分を見ることもできる。

自分に不足しているものを探すのでなく、すでに持っているものを知る。

満たされないのは、幸せを感じられないのは、自分がすでに満たされていることに気がついていないだけ。

自分はなんだろう?何かしたいけどできない、というのは、ある意味傲慢にも感じる。

生きているだけでスゴイことなのに、それ以上、もっとスゴイことしようと思っているの?

そんなに自分のことスゴイと思ってるの?

もちろん、スゴイと思ってていい。

けれど、すでに満たされている「足るを知る」という謙虚さ、

というより、この生への感謝があれば、自分は何かやらないければ生きている価値がないなんて傲慢な気持ちにはならない。

生への感謝があってこそ、何かやりたいという気持ちがわいてくるものだ。

順番が違うのだ。

もちろん、自分の不足感から始めたことが人を幸せにし、自分も幸せに感じることもあるだろう。

けれどそれは、人に幸せを与えたことで自分が生まれてきた価値を意味付けしているだけかもしれない。

そして、頑張らなくていい、欲を持たなくていい、ということでもない。

まず、何かをやる前、望むことの前提として、足るを知っているか、どうか。

人間はその欲深さで自らの不幸せを招く。

「生きてるだけで丸儲け」という言葉があるとおり、まずその生に感謝できたなら、あとは何があっても、何もなくても、幸せしかないよね?


だから今、、、、


すべての生へ感謝🙏🙏🙏



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