宙組公演再開に向けての雑感


さて、いよいよ目前に迫った宙組公演の詳細が少しずつ明らかになってきました。
その中でわたしが個人的に思った事をつらつらと書いていこうと思います。


まず初めに、公演再開の発表がされてからその是非について賛否両論飛び交っているわけですが、わたしとしては公演を再開する事は必要な事であると考えています。
その理由は以前の記事にも書いたように、当事者間で合意がなされたのであれば宙組は公演再開に向けて進んでいくのが当然で、元々の公演期間を考えれば今回の時期で再開するのは妥当であると思っています。
なぜなら宙組が公演を中止してすでに8ヵ月以上経過しており、このまま目前の公演期間を見送り次の公演期間を待つとなると、最短の別箱からの再開であれば1年、本公演ベースで考えると1年以上舞台に立てないという事になりますし、これは舞台人である彼女達にとって大きな不利益になってしまうからです。
公演順を入れ替えるという対策もできないわけではありませんが、そうなると他組への影響も大きく、労働環境改善の観点からもあまり得策とはいえないのではないでしょうか。

次に議論されているのが当事者達の去就ですがこれはとても難しい問題で、単純に白黒つけるわけにもいかない事だとわたしは考えています。
どのような事情があってこの決断に辿り着いたのか論じるには全てにおいて本当に情報が少なすぎる。
中には情報が少ない部分を公式発表以外のもので補って過激に批判を続けている方もいるようですがこれは全く正しい行動ではないとわたしは思っています。
先日行われた株主総会でも質疑応答で週刊誌報道やネット情報をベースに意見を述べられた方がいらっしゃったようですが、これを良くやったと評価されるている方が複数いる事にとても驚いています。
まず大前提として当事者の芸名は故人を含め誰1人として公表されていません。
これはご遺族のご希望によるものであったはずで公式では常に守られてきたものです。
にも関わらず名前を論う行動のどこに評価されるものがあるのでしょうか?
また芸名だけに留まらず本名や縁戚関係にまで言及する事にはなんの正当性も感じず嫌悪感しかありません。
そしてそのベースになっているのが週刊誌やネットの情報であるという事が今回の去就問題で過激な批判をされる方がいる大きな理由であるように感じました。

株主総会の質疑応答の話でもう一つわたしが気になったのは回答された運営側の言葉のチョイスが不適切であった結果、全ての事が薄っぺらい感情論のような話になっているのが実に残念でなりません。
今回の結論に至った過程にはたくさんの議論が劇団内でも当事者間でもされてきたことは間違いないはずです。
それなのに言葉の選択ミスでそれをただの感情論だけにしてしまったのは本当に悪手だったと思います。
そもそもこのような質問が出ることは当然予測できたわけで事前にある程度の回答を準備できたにもかかわらずなぜあのような回答になってしまったのか、、
昨秋の会見以来ずっと危機管理広報に失敗し続けている企業側はそれについての対策強化を一向に行なっていない事が露呈して残念でなりません。
それによって批判を浴び続け不利な立場に立たされているのは常に当事者達でその事をとても不憫に思ってしまうのはわたしだけでしょうか?

また去就の是非についてわたしの意見を述べるとすれば、運営側が妥当だと思い決定したのであればそれは妥当であるといえることぐらいでしょう。
もっと具体的に言うなればそもそもわたしは去就に異議を唱える立場にないということと、是非を論じられるほどの情報を何も持ち合わせていないということです。
これを言うと盲目だと言って批判する人が必ず表れますが、感情論や状況証拠ではない公的な情報はご遺族の希望で掲載を取りやめた調査報告書と、いまも公式のホームページに掲載されている合意書のみです。
しかしそれにしたって詳細は殆ど明記されていません。
また劇団が認めたのはパワハラに該当する行為が故人に対して心理的負荷を与えた事であって、かかる事態を引き起こしたのは劇団の運営陣の怠慢からくる安全配慮義務違反だとしています。
実際にパワハラに該当する行為に誰がどのように関わりどのような影響を及ぼしたのか、それが正当性を欠いていたのか否か、その正確な事実を知る術はわたし達には全くないのが現状です。
わたし自身も新人、中堅を経て今現在ではそのどちらからも仕事上で相談を受けることはありますがどちらの言い分にも納得できるものがあり、同時に納得できないものがある。
仕事上の指導においては厳しさかパワハラかの線引きは非常に難しく、個人の感情や環境、関係性にも大きく左右されるものであり、当事者からの長期に渡る聞き取りでようやく背景が見えてくる事も多々あります。
また、パワハラが自死の原因だと短絡的に結びつけ糾弾されている方がいらっしゃいますが身近な人を自死で亡くした経験を持つわたしからすればそんな単純な事ではないと思っています。
故人の尊厳に関わる事なので明言はできませんが全く予想だにしない理由であり今も自問自答を繰り返しているとだけ記しておきます。
故に人の死に勝手な意味やストーリー性を第三者が持たせる事はとても危険な事でその人の尊厳を無視し自分達の気持ちを収めるための理由付けに過ぎないとわたしは思っています。
憎悪の対象を定めそれを排除すれば気持ちがいくらか楽になるかもしれません。
しかしそれはただ問題から目を背けているに過ぎず、当事者でもないわたし達がすべき事ではないはずです。
合意書の情報さえあれば判断し糾弾するのに十分だと仰る方はそうなのでしょう。
しかしわたしは誰かの人生を左右する事を論じるにあたりこれだけでは不十分ですとしか言いようがありません。
先入観を排除し正確な判断をするためにはより多くの客観的な証拠は必要不可欠でありそこを蔑ろにしてしまうと誤った方向に舵を切りかねない。
そもそも誰かを裁く権利は司法の下以外では誰も有していないと思っていますしそれが法治国家の正しい姿であると思います。
わたしの主張とは相容れないと仰る方は考え方の違いですのでご容赦いただき離れて頂ければ幸いです。
また劇団が全責任を自分達にあるとした事へのわたしの考えは以前投稿した記事に書いていますのでここでは省略させて頂きますが、あの言葉は建前でも当事者達を庇っての言葉でもなく言い逃れのしようがない事実だとわたしは思っているとだけ述べておきます。

話を戻しますと今回の公演再開や当事者たちの去就を受け入れるかどうかはわたし達ファンの自由であると思っていて、受け入れ応援する人もいれば受け入れられず離れる人もいるでしょう。
以前の記事にコメントで「宝塚はもうダメじゃないですか?」という言葉を戴きましたが、そう思うのならあなた様の中では宝塚はもうダメなのでしょう。
しかし、わたしは全くそうは思わないのでこうやって記事を書き見守り続けています。
どう宝塚と向き合っていくか全ては自由であり、それぞれに与えられた権利です。
なのでわたしはこれからも寄り添っていきたいと思っていますし、そうする事を他の誰かに嘲笑されたり否定される事へは毅然とした態度で接していきたいと思っています。

また改革についてですが、劇団の取組みの進捗状況が不十分であると苦言を呈される方も多くいますが、わたしは妥当なペースだと思っています。
急激な変化や成果を求めればどこかに歪みが生じ、また別の問題を引き起こしてしまうかもしれない。
そもそも110年という長い歴史の中で築き上げたものを変えていくという作業は一朝一夕でできるものではなく、長い時間をかけて慎重に議論を重ねながら進めていくものだと思っています。
きっと第三者であるわたし達にはその進捗や成果はすぐには可視化されないもどかしさを感じることは多いでしょう。
しかしそれを急かしたり横槍を入れる事は当事者達にとって何の利益にもならないとわたしは思っています。

可視化できるものといえば、今回の宙組公演のスタッフ欄を見ていて気づいたのが普段の公演よりも助手とつくスタッフの方が多いなという事です。
演出助手2名、音楽助手1名、振付助手2名、装置助手2名、衣装助手2名、照明助手1名、音響助手1名。
羅列しただけでも11名もいらっしゃってこんなに多く記載されているのはわたしは今まで見た事がなかったので正直驚きました。
一つは今回の宙組公演への最大限のバックアップであると考えられますが、それだけではなく今後の現場スタッフの負担軽減に向けた取組みの一環ではないかと推察しています。
またスタッフ陣の中には懐かしいOGさんのお名前もあり、わたしが記憶している限りではそのお二人は公演スタッフとしてクレジットされるのは今回が初めてではないでしょうか?
(記憶違いでしたら訂正をお願いいたします。)
こういったOGの方々からの直接的なサポートを得られる事は現役生にとってとても大きな意義があると思いますし、一度外の世界を経験したOGの方々だからこそ伝統を守りつつ新しい風を吹き込む事を期待できるとわたしは感じました。


あと数日で宙組公演が始まります。
舞台に立つ彼女達はようやく表現をする機会を得ました。
ここまでの道のりを思うときっと様々な苦悩を抱え不安や恐怖と闘っていることと思います。
それでも舞台に立つことを選んだ彼女達の選択をわたしは尊重し支持します。
亡くなられた彼女への哀悼の気持ちを胸に舞台に立つ彼女達のパワフォーマンスをしっかりと受け止め、敬意を払う事を忘れずにわたしは見守り続けたいと思います。

故人のご冥福と安全に公演が再開される事を心から祈ります。