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感覚的なこと

私はとても感覚的な人間だとつくづく思う。

思い返せば、人生のいくつもの大きな決断、突き詰めれば結局「感覚的に」たどり着いたと言ってもいい。

最近、thedolectures のBonfire with Soul 2021というオンラインイベントのトークを聴いていたら、ホストのDuke Stump が同じようなことを言っていた。(といっても彼のスケールは違いすぎて、同じようななんて言うのがずるい気もするんだけど)

thedolecturesというのは、世界中のクリエイティブ人たちや起業家たちがイギリスウェールズのすごい綺麗な(でも田舎な)ロケーションに集まって話をシェアしあうイベント(とこれも彼らのスケールには失礼なほど簡単すぎる説明なので、興味ある人はウェブサイト見てください)。彼らのウェブサイトにある紹介。

"The idea is a simple one: To gather together the world’s DOers, disruptors and change makers, experts and pioneers, to share their stories, and encourage others to go and DO."(私の訳で:アイデアはシンプル。世界中の行動を起こす人たちや混乱を引き起こす人たちや変化を起こす人たち、専門家や先駆者などなどを集めて彼らのストーリーを語ってもらい、他の人たちもそこから出て行って何か事を起こしていくように)

面白そうでしょう?

とにかく、トークをしていたDukeはNikeやLululemonで大きな存在だったのにそこを辞めて好奇心に突き動かされてどんどん新しい事に挑んでいる、(とこれもまた私の解釈)なんだけど、彼が新しい何かに移るときには、周りからの理解はなかったそう。むしろ、「なんでそんなバカなことするの?」って頭ぽりぽりされた、って。でも彼は、まともに理屈で考えたらクレイジーかもしれないけど、インスピレーションで決めたんだ、と言った。

私の紹介の Stay curious というのは、彼らも掲げていることなんだけど、「この人生、この世の中、もっと何かあるよね!?」って好奇心を失わないでいることって、とても大切だと思う。日本人は、安全や安定を優先する国民だとよく聞くけれど、そうなのか?実は、「なんか違うんだけどなー物足りないんだけどなーこの自分って本当の自分なのかなー」ってどこかで感じながら日々を暮らしている私たちは少なくないんじゃないかと思う。というのは、私も人生の中でそういう時期がいくつかあった。どこか心に正直じゃない。しっくりこない。でもそこから抜け出すのも勇気がない。そもそも抜け出して何をしたいのか、わからない。

でも、何かをするという着地点があることを想定するから、そして着地点が定まらない行動には意味がない、とどこかで信じてしまっているから、わからないということはないだろうか。

何か目に見える形の成果や対象がないなら価値がない、と決めつけてしまっていることはないだろうか。

私は、プロセスは結果以上に貴重なのではないかと思っている。

勇気を出すこと、葛藤すること、迷うこと、間違ったことを認めて引き返すこと、しっぱいを認めてやり直すこと、その全部から学んでもっと自分に誠実に歩むこと。私たちは、どこかで感覚的に生きることよりも、頭で考えて合理的で納得のいくことを選択して生きることを、教えられてきているのではないでしょうか。感覚的っていっても、そんなの保証がないじゃない、って思うかもしれない。でも、いろんな人の意見や行動に倣って客観的に判断して選択して生きていくのが、確実なわけでも正しいわけでもない。そこにも保証はないんだよね。他の誰かと同じように生きられても、他の誰かと同じようなことを達成しても、他の誰かに喜ばれるように選択していっても、それは誰のため?

自分という存在はこの長い歴史の中で一度しかなくて、一人しかいなくて、それを一番正確に表現できるのは今の自分しかいないなら、何よりも大切なことってそういう生き方なんじゃないかなと。それが一番責任のある生き方なんじゃないかと。

そう思うわけです。

"Tell me, what is it you plan to do with your one wild and precious life?" 

- Mary Oliver

(「ねぇ。あなたはそのワイルドでかけがえのないたったひとつの命、どう生きる?」メアリー・オリバー)

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