わたしに美意識というものがあるならば

それは生き様でみせていくものかもしれない。

美意識というものは、もちろん街の景観や工芸品云々だけじゃなくて、
ファッションとかだけじゃなくて、使う言葉や振る舞いやすべてに、宿るものだ。

私にだって美意識はある。それは、積極的に語ると薄っぺらくなりそうだから、親しい間柄でお酒を飲みながらとか、きかれたときに答えてる。というより
自分が忍ばせたその美意識的なものがひとりよがりになっていやしないかと、リトマス試験紙みたいな質問を、会話に忍ばせることもある。
心の中で小さくガッツポーズしたり、後悔したり反省したり、ものすごい小さな一喜一憂の連続で、わたしの振る舞いは更新されていく。

一番わかりやすいのはSNSでの発信。このnoteも美意識と格闘しながら書いてる。

仕事も、服装も、使う言葉も、美意識が絡む。美意識の良し悪しはなかなか評価し難いけど、誰もが『美』意識を持っているという信仰は人間を信頼してのものだろう。道徳よりももっと感覚的な概念。

美意識形成の過程を、美しいものを作るふたりの職人に問う機会があって、その後に自分はどうだろうって考えたときに

世界がぐわーーーーっと拡がった瞬間が、美意識を変貌させるのだと気づいた。自分が手を伸ばせる選択肢の幅と世界の認知が広がったときが、その成長を増幅する。

って考えてたら、この本にセンスは沢山知ることで磨かれると書いてあったのを思い出した。


人生、沢山の景色を知りたいなぁ。
それらを有機的な言葉と、事柄に成形したい。

お時間いただきありがとうございます。