現実はリアリティショーよりも、もっとグロテスクで、もっと温かいはずだ。

現実の方がもっとグロテスク。
SNSでウェディングドレス姿をカバー写真にして夫婦仲をアピールしながら夫の友達と関係を持つ知り合いや
不倫を迫る権力者だって、五股以上不倫男&人妻だって、100人以上斬りしていた女友達だって

リアルで、どこかで聞いたことある話だ。
けど、そんなのつまびらかに、どこでどうしてどうやってそういうことになったのかなんて、本人しか知らないし
他人が知る余地など無い。関係者だったり直接心を痛めたのなら別だけど、まったく関係のないひと様に、批判される余地など、当然ない。

恋愛リアリティショーは、リアリティの仮面をかぶったショーで

普通はひと様には見せないような私生活を、
出血大サービスで見せてくれちゃう有難いショーだ。

そんなの普通に見られないし、見せてくれない。
そして、観せる前提のショーだから、前述した『リアル』ほどのリスクは侵さない。

起承転結など気にしない(普通は見せてくれない)生活を見せてくれる等身大っぽさが良かった。作為的でないストーリー展開がものすごく生々しいというか。
最近だと北海道での、グラビアアイドル夢ちゃんと社長の新野さんの攻防がとてもリアルだった。みんなおおっぴらには言わないけど、ああいうシチュエーションを経験したひと、結構いるのでは。。?という省みる感。

テラスハウスしょうもない、と内心思ってたけど、私は外出自粛期間中、あまりにも直接人に会わないからか、見事にテラスハウスにはまってしまった。
計算され尽くしたドラマよりも、ひとのリアル(風味)を観たくなる。
そして、テラスハウスは見せる前提で生活をしているから、
リアルほどグロテスクではない。ドラマほどドラマチックではない。
リアルほどリスクは侵さない、という安心感があった。

けど、そこにおもしろみを持たせないと、という焦りが
制作陣と出演者にはあっただろう。
文句なしに叩かれる下手はこきたくないけど、見ごたえのあるドラマは生み出したい。
一週間の生活を、一時間程度のおもしろい番組に凝縮させるには
生活の中のやさしい部分を編集でそぎ落とすこともあったのかも。
けど、それはとてもリスキーだったんだろうなぁ。

視聴者は、番組の冒頭で毎回リマインドされる『台本は一切ございません。』の言葉を信じて観るから、
編集された映像が、台本の無いリアルだと信じ込んでしまう。

ドラマは何をしていても、あとから『フィクションです。』って付け加えれば、だいじょうぶになる。
リアリティショーは、フィクションです。って付け加えられない。リアルが売りだから。

そこに、出演者本人たちに接続するSNSがある危うさ。
出演者本人にいくらでも直接言葉を投げつけることができる。

リアリティショーは、
ほんとのほんとのリアルよりも、ひとに見せることが出来る、平和な世界が広がっているのにね。

些細なことをドラマチックに編集した演出によって、
テラスハウスの等身大な世界観に没入した視聴者は、出演者のSNSに書き込み、自分自身もその日常に参加しているような陶酔を味わっていたのだろうか。

ここから教訓を得たことは、

リアリティを発信するなら、無防備に他人に編集させないこと。
他人に編集させても、世に発信する前に自分チェックは必要。リアリティの責任は、自分がとることになるから。

未熟な視聴者にリアリティショウは向かない。
リアリティショーは、現実よりもマイルドだし、面白くするためにやさしい場面もカットされる。(ほんとのほんとのリアリティは、批判がとまらないほどもっとエグいとこあるし、みんなが文句なしにほっこりするくらいもっとやさしいこと、いっぱいあるよ)

あとは、
関係してない限り、ひとの人生にそんなとやかく言えないよ。

これから、リアリティショーをやるならどうなるだろう。。
出演者のリアルと断絶するために、みんなアバターで出演とかなるんやろか。
けどそれでは、リアリティショーに出演して有名になる、というメリットが享受しきれないだろうか。

お時間いただきありがとうございます。