見出し画像

ネイリストになるまで1


こんにちは!こうです。

大阪でネイリストをしている28歳です。


今回は、ネイリストになった経緯をお話させて頂きたいと思います。

今までも、何度かお客様に聞いて頂いた事もあり
聞いて頂ける事は、純粋に嬉しいと思っていたのですが


自分の過去の事をお話すると
すごく暗い時期もあったので、(笑)
どうしても重たくなりそうで、
詳しくお話しすること、避けて来た気がします。


でも私が今
お仕事をさせて頂いてる上で大事にしている事
何故そんな想いなのかって
過程があっての事なので、
どこかに届けばいいなって思いました。

長くなりそうですが
お付き合いいただけると嬉しいです。


---------------------

結論からお話しすると、

私は
中学生の頃から、精神的な病気を患っています。

今はすごく上手く付き合えていて、
生活に支障が無いレベルなので
わざわざお話する事も無くなりました。
もう、特性だと思っています。

人それぞれ、高いところが苦手。トマトが苦手。
車酔いしやすい。など
細かい事を言い出すとキリないほど
それぞれの、得意不得意があって。
色々事情があるのって、当たり前やし
それぞれの特性。個性がある。
それ位の感覚です。

なので、私は全然気にしてません。


中学生からとお話ししましたが
自分が病気と気づいたのは高校2年生の頃でした。

自分の病気に気づいたキッカケは
同じ病気の方のブログを見つけた事でした。
しんどいのに、何がしんどいのかわからない。
そんな気持ちを、
代弁してくれているような内容で
あー、私や。私はこの病気なんや。って

分かった時、
まさか自分が。っていう気持ちと、
精神的にしんどいと思っていた当時の気持ちを
病気っていうワードのおかげで、
納得して救われた気持ちと。
色んな気持ちで複雑だったのを今でも覚えてます。


私は、母子家庭で育ちました。
物心ついてから父親と会ったのは
本当に数十回とかで
母が兄2人と私を、女手1人で育ててくれました。

この歳になり、
お仕事しながら生活を送る事を経験して、
尚分かりますが
本当に本当に大変だったと思います。

そんな母を、ずっと側で見てたから
私たち兄弟はいつもお母さんを楽させてあげたい。
お母さんの為に。って意識が、
本当に幼い頃からあって、
お母さんを助けたい。
そればっかり考えてました。


そんな思考を続けた結果
いつの間にか他人本意(母本意)で
考える事が癖になってしまって
それが正解だと勘違いしてしまって。
自分の気持ちや、自分のやりたい事、自分の人生って
考える事ができなくなってました。

無意識って怖いですよね〜
おかしい状況に気付けなくて、
何がしんどいのかわからない
そんなストレスが溜まりに溜まって
心の限界が来た時に病気として現れたんだと思います。



今まで、割とずっと明るく楽しい性格で生きてきて
周りの人にもそう思ってもらえてたから尚更
しばらく誰にも相談できなかった


こんな自分を見せるのも、知られるのも怖い
こんな自分を自分が受け入れられない。
でも学校にも行けない、外にも出れない。
ずっと暗い部屋で一日中過ごして
何で今まで通りできへんの?って
本当に自暴自棄でした。


結局、通っていた高校を
3年生の途中で辞めて、単位制の高校に編入して
無事卒業し、高卒だけはとりました。


今でこそ、家族も理解してくれてますが
この頃は、家族も私の病気を受け入れられなくて
すごく否定的でした。
いくら説明しても、分かってもらえなくて
きっと、記憶から消したくて忘れてましたが
傷つく事も散々言われて
本当に結構酷かったな〜って笑えます。笑

同世代のみんなは、高校最後の一年。
思い出沢山増やしてたり
新しい大学生っていう新生活に向けて
人生のステップアップをしている中で
自分は何をしてるんやろ。


毎日、悩んで悩んで
いわゆる普通の生活を送れない自分を責めて
事情を話せる友達が数人居てても
恐れ多くて、頼りきれずに
自分を責めて
生きる事さえ、辛い日々を送ってました。

もう半ば投げやりで、
その日暮らしで生きていました。

それが16〜20歳頃の事でした。

---------------------



書きながら、本当に暗いな〜って。
こんな話、人に聞いて頂くの
申し訳ないと思ってしまいます。(笑)


上手くまとめられるか少し不安になってきましたが←
ひとまず、今日はここまでにして
また次回書かせて頂きます。

お付き合い頂いて、ありがとうございました^^


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?