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かつての党首 VS かつての同志~怨念か執念なのか?!東京18区の選挙初日

選挙が始まったといわれても、なんだか騒がしい程度に感じられるのは、平和な国の証拠です。でも、今回の選挙、なんだかモヤ~と気分が良くありません。なぜなのか考えてみたのですが、コレでした。自民党も、野党第一党の立憲民主党も「ほどほどに勝てばよい」と大っぴらに言ってのけていることです。

岸田新総理は、総裁選で勝った瞬間、次の選挙の勝利ラインは?と記者からの質問に「与党で過半数」と言いました。

「与党で過半数」とは、自民党と公明党を足して233議席とれたらOKということです。今回の解散の前までは、自民党276で、公明党が29の合計305議席ありました。ということは、公明党は組織票で議席数はほぼ動かないですから、233議席から公明党の29議席を引いた204議席を自民党がとれば「勝利した!」と言えるということ。え?自民党は72議席減らしても、いや、72人も落選したとしても、目標達成!大成功!ということになるわけです。これでは、負けたのか勝ったのかピンときません。私は、岸田総裁のこの言い方は、先ずは自分を安全地帯に置くためのセリフだと感じました。賢いともいうかもしれませんが、ズルいなーというのが正直な感想です。

対する野党はどうかというと、「一強多弱」と言われてきたのが、立憲民主党、共産党、国民民主党、れいわ新撰組、社民党の5野党です。野党がそれぞれの選挙区で候補者を調整して一本化をはかり、自民党という巨大政党に立ち向かう構図を作りさえしたら、絶対に勝てる!と言ってきたのは、かの小沢一郎氏でした。民主党時代は選挙の手腕で党勢拡大を一気に推し進めてきた剛腕の持ち主。当時、民主党は昇り竜の勢いでしたから、野党連合はそれほど必要に迫られてはいませんでした。でも、この8年に及ぶ安倍政権とそれを受け継いだ菅政権に、野党は骨抜きにでもされたように力を発揮する場を見失っていました。

なんと言われても、先ず勝とう

艱難汝を玉にする、ということでしょうか。289の小選挙区のうち217カ所の選挙区で候補者一本化に行き着いたのです。2012年に民主党が下野して以来、安倍政権は最長記録を更新し続けました。その原因のひとつが2017年の衆議院選挙です。選挙直前に野党第一党の民進党が分裂し、複数の野党が互いの票を食い合うことになりました。その結果、負けるといわれていた自民党は漁夫の利。絶体絶命と言われた63の選挙区でも勝利を収めたのです。「4年ぶりの選挙」とは、この2017年からの月日のこと。この失敗の煮え湯を嫌というほど飲み込んだ野党は、批判にさらされながらも脱一強多弱を目指し、選挙区の調整を進めたのです。

さて、この作戦はどんな結果をもたらすでしょう。

東京18区の面々

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公示日の19日、私はどうしてもこの日に見たい候補者がいました。かつて同じ政党にいた政治家が、政党を変え、当時の党首を討ち取りに立ち向かった選挙区です。東京18区。旧民主党から自民党へ鞍替えし、選挙区を旧民主党党首、菅直人氏の東京18区へと変え、戦いを挑んだのが長島昭久氏

挑む長島昭久氏

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どんな顔をして演説をしているのか。何を話し、何を訴えるのか。選挙区の吉祥寺駅前は、夕方の帰宅ラッシュでごった返していました。長島氏は、丸川珠代氏の応援演説を受け終えて、記者に囲まれていました。

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記者「どんな気持ちですか」「(民主党時代の党首)菅(かん)さんへの思いは?」「この選挙区を選んだ理由は?恨みですかね」

長島氏「ありがとうございます!ここは、党から頂いた選挙区です。私はもらった選挙区でやるだけ!すべてを受け入れてやるだけです」

二階派の源流は、二階氏の歩んだ苦しさにあった

長島氏は、民主党時代に新しい政党を作ろうと悩んでいたことがありました。共に悩む同氏は得たものの、新党結党には至らず、民主党を出て自らの政策を実現できる政党に移ることを選びました。自民党に入ったのです。

野党から自民党入りした政治家は肩身が狭いものですが、その苦労を知っているのが二階俊博氏。二階氏は、1993年に小沢一郎と一緒に自民党を出て、新党を旗揚げし、新進党、自由党、保守党と連立政権を経験した後、自民党に復党しました。党を出る思い、小さな政党の苦しさ、復党の切なさ。そんな思いを知っている二階氏だからできるのが、他党から来た政治家の面倒を見ることなのです。派閥の長らしい長は二階氏だけだと言わしめる面倒見の良さは、ここが源。長島氏は二階派に入り、2003年の初当選以来耕し続けてきた東京21区の選挙区を捨て、2020年にこの東京18区をあてがわれたのです。


笑顔の長島氏には既にファンがついていました。インタビューが終わると「こっちでお願いします!」と数名の女性が後ろで待っていました。カメラに収まるときの女性の歓声が冬の夜空にこだましていました。

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迎え討つ菅直人氏

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さて、隣の駅では菅直人氏が演説をする予定になっています。私はJR三鷹駅に向かいました。北口の駅前は、ロータリーになっていて、帰宅ラッシュも落ち着いてきた頃、場所取りをしていたボランティアスタッフと思われる男性が「菅直人が来ました!菅直人です!」と声をあげていました。慣れた感じのその方は、これまでもこの選挙にずっとかかわってきた人なのでしょう。この声が駅周辺に鳴り響いた瞬間、思い思いにその辺りに居た人達は、菅直人目指し一気に集まってきます。菅直人氏の隣には応援弁士の松下玲子武蔵野市長。彼女は菅直人氏の肝いりで2005年に都議会議員選挙に初出馬、二期を経て、都議選に落選した年の武蔵野市長選に挑戦し初当選。この10月3日に2期目の当選をダブルスコアで果たした現職の武蔵野市長です。選挙を終えた直後ということもあるのでしょう。慣れた選挙口調での応援演説が始まりました。

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マイクが菅氏に渡り、候補者本人が話し始めると集まっていた人の輪がギュッと固まってきました。菅氏は、自らが政治を志すきっかけとなった市川房江氏の思い出から、自民党に「悪夢」と言われる民主党政権で、高校無償化などの実績をあげたことなどを話しはじめました。周囲の人だかりは増えつ続けています。政治家としてこの地で戦い続けてきた年数の実績なのでしょうか。ほんの10分もたたないうちに歩道は人で埋め尽くされていました。

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この勝負、どちらに吉と出るでしょう。私のMY注目選挙区のひとつです。

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