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オリンピックと二つのジンクス

23日の開会式は、「本当に始まったのだ」と思ったのと同時に、「とうとう始まってしまった」と複雑な感情のまま見入っていました。黙々とトレーニングをするアスリートにスポットライトが当たる。ここから始まった開会セレモニーは、人々の苦悩や祭りの楽しさにバトンをつなぎながら、復興五輪と位置付けた福島からスタートした聖火につながりました。聖火を携えたトーチは、予定していた著名人の辞退や、火が消えるアクシデントも経て会場へつながり、長島茂雄氏、彼を支える松井秀喜氏、トーチを持つ王貞治氏へとバトンを渡し、最後の点火のトーチは、女子テニスプレイヤーの大坂なおみ氏へ。世界一位となるも苦悩の中にある彼女が、今回のオリンピックの最終ランナーとなり点火としてその役割は昇華しました。

このコロナ禍での開催理念を念押ししつづけるかのようなセレモニーの構成に、シンプルに楽しめない今回のオリンピックの意義を思い複雑な心境の中、やはり始まると楽しみに思う自分に少し驚きます。それは「とうとう始まってしまった」という恐れに近い感覚を、楽しさで抑え込もうとする力に驚いたのです。人数制限をしたとはいえ9万人もの人々が世界各国からやってくることで、噂にすぎない想像上のウィルス「東京五輪株」がここで生まれるのではないかという漠然とした不安です。報道やメディアで同じようなことが語られるたびに、菅首相の「安心安全な開催」の根拠を探し、かえって不安が蘇るということの繰り返し。この妄想が昨夜現実になったかのような不安となり、セレモニーの演出を映画でも見ているかのような非現実感を以て受け入れようとしている自分がいることにも、現実逃避に近い不安の深淵を見た思いでした。

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