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人事の刀で政治生命を切り捨てた最高権力者

「総裁選に出ずに、任期中は新型コロナ対策に専念したい」
「ついては、お願いしていた役員人事を撤回したい」

9月3日午前の自民党臨時役員会室。
菅総理は立候補断念を表明した。

この一報を受けた官邸でのぶら下がり取材は、混乱を極めた。
「コロナ対策に専念するため」という納得するようなできないような、キツネにつままれたような言葉を残し、質問も受け付けられずに終わってしまった。
菅首相は国政レベルの選挙で国民の審判を受けたことがありません。首相だけが持つことのできる伝家の宝刀「解散権」。これを一度も使うことなく、内閣改造さえできぬまま引退とは、いったい何があったのでしょう。それとも、国政選挙はそんなに怖いものだったのでしょうか。選挙を戦うことなく、首相の座を降りる菅義偉首相を、これまでの経緯と仕事ぶりから見つめなおし、今後の政局を考えてみました。

【 派閥をもたない首相の末路 】

6日に自民党役員人事を刷新し、菅首相は支持率浮揚策とするはずでした。人事は官房長官時代からの得意技。党四役のすべてを交代させ、イメージを刷新して党内外の支持を得れば、総裁選を乗り切ることはできる。菅首相はそう踏んだのでしょう。

自由民主党で党三役は、幹事長、総務会長、政務調査会長のことです。これが自民党「総裁」に次ぐ党の最高幹部の「党三役」。
そして、党四役とは「党三役 + 参議院自民党議員会長」もしくは「党三役 + 選挙対策委員長」のことを言います。

国民に人気のあるメンバーに入れ替えることで印象を変え、政権の支持率をあげようと菅首相は苦慮していました。

官房長官時代からの秘策、人事権を握ることで政権を維持してきた菅氏にとって、人を差配するとき「ポストを与える」という策は常に特効薬でした。そのポストを与えようと検討していたメンバーは、石破茂氏、河野太郎氏、小泉進次郎氏など。確かに、この顔が四役にいずれかに一人が入るだけでも若返り感は大きくなります。しかも国民に人気のある人物揃い。

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菅氏は、自分を支えてきた二階幹事長を切り捨て、そのポストに新顔を求めました。

幹事長のポストに誰を据えたら総裁選を乗り切ることができるのか。
衆議院選挙を勝ち抜くことができるのか。
これさえできれば政権は安泰だ。

しかし、ここにきて現実は残酷でした。幹事長職は、政治家なら誰もが憧れるポスト。しかし、内々で打診しても、ことごとく断られ続け、これには菅首相もショックを受けます。もう一度念を押しても、再度頼み込んでも、誰も首を縦に振ることはありません。ポストの打診は、菅首相に味方がいないことを証明したのです。無派閥で総理大臣をするということの難しさはこんなところにも表れました。

幹事長の椅子を蹴られ続けたことに加え、大臣ポストの入れ替えにも難航します。ここに総裁選に出馬するであろう大物を取り込みさえすれば、総裁選は無風。逃げ切ることができる。これでいけると思っての段取りでした。

この二段構えの入念な作戦も、あろうことか断られ続けたのです。菅氏は追い込まれていきます。官房長官時代からの菅氏の奥義、人事戦略は、空を切って刀を折ったということになったのです。

【 菅総理が使えなかった3枚の切り札 】

総理大臣には、自分にしか使えない切り札があります。菅首相は、結局この切り札を使うことができなかったのです。

【総理大臣(総裁)だけが持つ3枚のカード】
 ◆衆議院の解散権
 ◆人事権
 ◆自民党議員の公認権(総裁として)

【 見放された総理大臣 】

8月にあった横浜市長選挙では、大敗を喫することとなりました。横浜市は菅首相のお膝元、つまり選挙区でもあります。その市長選挙には秘書時代からの朋友、前国家公安委員長の小此木八郎氏が立候補。全力で応援に入った菅氏は、その選挙情勢に愕然とします。「首相が応援に入ったのに負けた」と評価されることを避けるため、首相は負けそうな選挙からは手を引くのが常です。結果は案の定です。

「首相が入ったのに立憲民主党の候補者にボロ負けした」

衆議院選挙直前のお膝元の選挙での大敗。これには、激震が走りました。
神奈川県連の土井幹事長の言葉は、菅首相の終わりの始まりを暗示していました。

「(今後)菅さんを頼む、というつもりは一切ない」

こんな言葉を聞く日が来るとは、菅首相は想像だにしたことがなかったでしょう。勝つことしか知らない人が追い落とされる瞬間は、あまりに呆気なく、私は陳腐なサスペンスドラマを見たような気持になりました。
まさかでしょ?え?これで終わるの?

自民党内部で「菅では選挙に勝てない」と言う声が大きくなっていたのは事実です。でもこれは、二階幹事長が諫めていたように、実際には若手議員の甘えでしかありません。政党の人気頼みで勝ち上がっていた自民党の議員は、選挙区を耕すことをしていません。

私は、仕事柄で全国の選挙区を見て回っていますが、自民党には追い上げられたときに、それを巻き返して勝ち残る戦法を全く知らない選対(選挙対策本部の略)が圧倒的に多いのが現実です。勝つために何をしてきたのかと聞かれて答えることができない議員は、その地域のために働いていはいない、ということなのです。

【 策士、策に溺れる 】

菅氏は官房長官時代、人事で力をふるいました。内閣人事局を活用し、霞が関の人事を手中に収めることで、官僚に有無を言わせず意のままに動かすことができました。安倍内閣が7年8カ月という歴代首相在席最長記録を更新することができたのも「安倍には菅がいた」からです。その安倍政権からバトンを受け取った菅政権の悲劇は、汚れ役を引き受けるものの不在、菅には菅がいなかったことに尽きます。自分が官房長官時代に総理に対してしてきたのと同じように、菅首相自身を支えてくれる人はいなかった加藤勝信官房長官にとって菅首相は荷が重すぎたし、逆に菅首相にとって二階幹事長は、伝家の宝刀とするにも重すぎる刀だったのでしょう。役不足、帯に短し襷に長し。

幹事長待機組に名を連ねる人は沢山いても、このタイミングでなり手がいないのには理由があります。それは、幹事長の権限の大きさから来る重圧です。幹事長は選挙を差配することができます。誰を公認して、誰を外すのか。お金はどこに配って、どこを干すのか。選挙の責任者としての権力は、同時に自らの首を絞めることにもなりかねません。
菅首相と運命を共にして良いのか。
人気のない菅首相の選挙を責任者として遂行するなら、結果責任が付いて回ります。万が一、衆議院選挙が負けたとしたら、この権限の重さを扱うことに失敗した者としての烙印は逃れようがなく、自身の政治生命の終わりを告げることを意味します。

幹事長候補まで名をあげてきたのに、何も今、負け戦に引っ張り出される必要はない。そう考えるのも無理はありません。

菅首相は、得意の人事の刀で自らの政治生命を切り捨ててしまったのです。

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【 記者会見の目的 】

官房長官時代、菅氏にとっての記者会見は、安倍政権を守るための場でした。記者からの追及を正面から受け止めることなく、逸らしてかわす場でした。この手腕は政権維持に高く評価されてきました。でも菅氏が首相になった時、状況は変わっていました。記者会見場での記者からの質問は、コロナ禍で不安な日々を過ごす国民の悲鳴の代弁になっていたのです。これに対し菅氏は、官房長官時代と変わらず「逸らしてかわす」やり方で切り抜けていこうとしていたのです。記者会見は、記者を潰す場ではなく、国民の声を聞く貴重な場に変化していたことに気付かなかったのです。これは大きな失点となりました。そして、政権の綻びはこの小さな穴から広がっていったのです。この小さな綻びが支持率を下げつづけた原因となりました。

【 コロナ対策の迷走 】

コロナ対策で、目標を「1日100万回接種」としたのは、剛腕が功を奏したと言っても良いでしょう。ただ、「国民の命を守る」と言い切った成果といえるのはワクチン接種一本鎗でした。感染防止対策はどれも後手後手で、緊急事態宣言も長く続いたことから新鮮さも緊張感も失せ、効果が認められたとは言いにくい状況です。そして、その剛腕を発揮すべきロックダウンなどの強硬策に打って出ることができなかったのは、度胸がなかったのではなく、これに反対する側近の意見を突き崩す気魄が無かったからに他なりません。

菅氏の首相としてのコミニュケーションは委員会答弁や記者とのやり取りだけでなく、ここでも一方通行。コロナ対策でも同じ弱点を露呈していたのです。決めたことを、原稿を読んで伝えるだけ。手変え品替えの質問に対しても、同じ原稿を無表情のまま淡々と繰り返し読み上げるというやり方。これを見ていた国民からは、決まったことを押し付けるだけの存在対話をしない総理大臣になっていたのです。

新型コロナ対策の一丁目一番地をワクチン接種とする、これを決めるのは立法府である政府の仕事です。そして、これをどうやって実現させるのかは、行政の仕事。これが三権分立のあるべき姿です。立法府で決める、行政がそれを実現する。菅氏が間違えたのは、本来霞が関が得意とする、秩序立てて物事を進めることや、整理整頓などの事務作業の部分にまで政府として介在したことです。確かに、厚労省や医師会の抵抗があったことでしょう。しかし、例えばワクチンの接種希望について、高齢者全員にネット申込をさせるとか、職域接種を取り入れるとか、若者枠を設けるなど、政府として口出ししたことはかえって仕事を増やすことになりました。合理性とは真逆の思い付きが霞ヶ関をの力を分散させ、ワクチン接種の現場を混乱させてしまいました。この混乱は、国民全体に早く一律に行き渡ることが求められたワクチン接種に、余計な時間を費やすことになってしまいました。

更に、「自助・公助・共助」の考え方は、コロナ禍でも踏襲されました。医療崩壊が誤魔化しようのない現実として日の下にさらされて以降、「中等症でも自宅で療養していただく」と公言したことは、生活面だけではなく感染後の治療すら「自助」とすることの国の姿勢の現れです。政府は、新型コロナの感染を自己責任とし、その治療にまでも自助を求めてきました。政府はどうして野戦病院を作ることすらできなかったのか。ドライブスルー接種が実現できなかった理由はどこにあるのか。それも私たち国民の責任なのか。私は、説明がなされない現実に寒々しさを覚えました。

【 失敗した「政策」 】

コロナ対策で検討しなければならなかったのにしていなかったことに、入院設備の不足を補う医療体制の新たな構築、国民の良心に依拠しない人流の制限、ワクチン接種を気軽にするための会場確保とシステムの構築があげられます。これができていれば、今頃は「日本人の真面目さ」を世界にアピールできる結果となっていたかもしれません。

同じように、他の意見を取り入れずに政府が強引に押し込んだものに、GoToキャンペーンと五輪があげられます。どんなに反対論が大きくても、貫く姿勢は安倍政権以来一貫していました。菅首相は五輪に関しても異論は一切聞き入れないやり方を貫きました。「安心安全な五輪の開催」は、最後まで理解できませんでした。誰に対して、安心で安全なのか。アスリートや五輪関係者なのか。受け入れる日本国民なのか。五輪開催中に感染者の拡大傾向が続き、その後に感染爆発を見ている現実のどこが、「安心、安全」というのか。政策を実行するには、その前後に科学的な検証が不可避ですが、菅政権はこれを一切拒否しています。仮説を立て、検討し、実行し、検証し、フィードバックする。こんな当たり前のことが置き去りにされています。この点は世界各国からも指摘されていましたが、馬耳東風、我関せずの姿勢を保ち続けたのも鉄面皮のなせる業だったのでしょうか。

そして、危機管理もまた全くダメでした。安倍政権時に起きたコロナ第一波が終息したときに、すぐに手を付けるべきは、最悪の事態を想定しそのための備えを整えることでした。しかし、反対意見を無視して押し出したGoToキャンペーンオリンピックも全く同じ構造でした。感染の直接的な原因が「接触」であることであるのは明白です。わざわざ「三密」なる流行語も創り出しておきながら、どちらも国民に「動」のメッセージを伝えています。この二つを莫大な予算の下に行い、感染は拡大しました。もちろん、五輪の延期をうけて特需を当てに莫大な先行投資を重ねた交通機関、観光、宿泊産業の悲惨さは目を覆うものとなっていました。しかし、人を移動させ、実際に宿泊、観光をさせることでしかこの業界を救う手はなかったのか。補助金や助成金で急場をしのぎ、その間に医療体制やワクチン接種のシステム構築に専念すべきではなかったか。危機管理として検討されていたら、GoToも五輪も却下されたのではないか。感染拡大の契機となったこの時の政府の決断は、今考えても悔やまれてなりません。

【 次の首相に期待すること 】

それはズバリ、対話と危機管理ができることです。最悪の事態を想定して、最悪の状況に対峙する策を練り、各方面の見解を取り入れながら準備を進め、最悪に行きつかないよう現状を治めてゆく。今この時の日本に必要なのはこれしかありません。

忘れてはいけないのは、日本は災害列島だということです。地震も台風も土砂災害も、いつ起きるかもわかりません。被害に遭ったら体育館に避難するのでしょうか。感染対策をしながらどこに身を寄せればよいのでしょう。現実的な指針がどこに明示されているのか、政府にはこれを明確にしてほしいのです。命が危険にさらされた時、私たちは、誰の声を頼りにどこに逃げたらよいのでしょう。対策のすべてを地方行政と連携して検討し共有し、真の意味で「国民のために働く」政府であってほしい。国民は国と地方との責任のなすりあいが見たいわけではありません。「安心安全」が欲しいだけなのです。

「国民の命を守る」のが国の責務。現場判断は地方行政に委ねるとしても、その前に国全体の危機管理としての対策を明示していなければ、「国民のために働く」と遠くを見る姿もただのパフォーマンスでしかありません。こんな恐ろしいことはないでしょう。政治家が国民のために働くのは当然です。こんなことを標語に掲げるような政治家には、もう二度と登壇してほしくありません。政治家の仕事は、国民の命と暮らしを守ること。そのうえで、自分が総理だったら何をするのか、ここを明確に分かり易く示してほしいものです。

先日、アメリカで活躍している著名な日本人医師と話をする機会がありました。その時、彼が切り出した言葉が頭に切り刻まれたようで、何度も思い出されます。

「鈴鹿さん、私はアメリカの大統領は本当にダメ人間ばかりだと思っていましたが、日本はもっとダメでしたね。1年半経ってもコロナ対策の野戦病院すらできない、こんな日本に居ることが怖いです。私は日本に滞在し続けるのを考え直すことにしましたよ。アメリカの方がまだマシかもしれない」

ニュージーランドで働く友人、ロンドンに転勤になった友人も「海外に来られてホッとした」と同じようなことを言っていました。日本のコロナ対策を目の当たりにしたことで、海外暮らしを検討し始めた友人家族もでてきました。ちょっと考えてしまうできごとでした。

【 次の首相は誰だ 】

立候補を受け付ける9月17日まで、誰が手をあげて、誰があげた手を下すのか、先行きは不透明です。

当初から出馬表明をしていた岸田文雄氏は、首相不出馬によって一転受けて立つ側となりました。序盤戦は岸田氏が二階体制を切り崩した形になりました。しかし、最大の敵である菅総理をも降ろすことにつながったのは想定外だったのではないでしょうか。バックには安倍首相時代の敏腕補佐官今井尚哉氏が動いているとの話もありますが、安倍氏が表立って動いたら、この支援もあっさり変わるのでしょう。岸田氏も安倍氏の隠れ蓑にすぎないのだとしたら、首相が変わっても何も変わらない。単なる首のすげ替えになってしまうでしょう。

安倍前総理の懐刀と言われる北村滋氏が、菅政権の外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障局局長を退任することとなったのは7月6日。それ以降、高市早苗氏の後ろ盾となっていたという噂は、今日になって「高市早苗氏を推す」と安倍晋三前総理が明言したことと無関係ではないでしょう。でも、これがどんな意図をはらんでいるのかを読み解くのは難しいことです。

世界的なトレンドである「女性政治家」のリーダーを考える時に、野田聖子氏小池百合子氏に女性初総理として先を越されるのだけは阻止したいのでしょうか。それよりも高市氏を表に出すことで、岸田氏の票をも剝がそうと目論んでいるのか。岸田氏が勝ちすぎれば、安倍氏の力は不要になる。岸田氏に集まる票を割ることで、存在価値を守り抜く対抗馬に高市氏は軽めの神輿としても最適でした。高市氏はそれも分かったうえでその神輿に乗っている。この構図で一番得をするのは、安倍氏麻生氏でしょう。

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【 総理と官房長官、党幹部シミュレーション 】

さて、ここでどんな組み合わせだったら人気浮上になるのか、どんな組み合わせだったら自民党の人気が高まるでしょう。ここは、効果は横に置き、単純に楽しんで考えてみました。検討するのは、自民党総裁=総理大臣、そして内閣の顔となる官房長官。そして自民党の顔となる幹事長。

総裁候補、つまり総理大臣として名乗りを上げているのは、岸田文雄氏、高市早苗氏、河野太郎氏。そして、石破茂氏、野田聖子氏が予想され、待望論として小泉進次郎氏の名前も挙がっています。

首相の横に、内閣の顔となる官房長官を据え、自民党の顔である幹事長が場を治めるとしたら、あなたはどこに誰を置くでしょう。毎日のように記者会見で顔を見ることになる官房長官に「爽やかさ」は求められるでしょうか。選挙と党のお金を仕切る幹事長に最も求められる要素に「重さ」は、やはり必須要件となるでしょうか。

総理との相性、資質や政治家の環境のバランス、そして何より派閥同士がいがみ合わないように丸く収まる人事を考えなければなりません。

しかも今回の衆議院選挙では、沢山の大物議員が引退を表明しています。その空いた椅子に座るべく意思を表明している次なる志士と、その椅子を横から狙う輩もそこらじゅうに潜んでいます。そして引退する重鎮達は、自分の威光を及ぼすことができる聞き分けの良い後釜をそこに治めたいと思っているに違いありません。

様々な念のうごめく永田町。この顛末はどんな風に進んでゆくのか。引き続きここでお伝えしようと思います。では、また来週!



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