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わたしはナイーブだったのだ…と、進撃の巨人を観て気が付く

今年の2月「進撃の巨人」というアニメをネットで観始めて意外にも信じられないくらい深くはまってしまった。大人になってから日本のアニメや漫画にはまったことがなく、むしろ嫌悪していたのに。
特に残酷で気持ちが悪いシーンが多そうな進撃の巨人をみるなんてわたしには問題外だった。でも、くみこがみたいと言うのでみてみることにしたんだ。

始めは思った通り、日本アニメ特有の、目がやたら大きいキャラクター、内股の女の子、直視できない残酷なシーン、大きな音や叫び声、強い光に、見ていてヘトヘトになった。それでも、物語と登場人物の魅力に引き込まれていつのまにか心を鷲掴みにされた。

一週間、進撃にどっぷりはまっているうちに、なぜわたしはこんなにもこの物語に惹かれるのか?という疑問が湧いてきた。そこで気が付いた…それは、わたしはこの世の中で起こっている残酷なこと、理不尽なことが許せなかったのだということ。


わたしが生まれきたこの世界は安全な楽園じゃなかった!!という、子供時代に受けたショックをいまだに引きずっていたんだな、と。
わたしは動物が大好きなのに動物は人(わたし)を怖がるショック、生き物を殺して食べなきゃいけないショック…などなど。そんなことにいちいちショックを受けていたら生きていけないよ…って大人になって蓋をしてきた部分。

でもこの物語の、理不尽で残酷な世界に良くも悪くも体当たりしていく登場人物を見ているうちに、わたしの中の何かが癒されていく、成仏していく感覚があったんだ。

この作品では残酷なシーンがほとんどだけど風景や空は一貫してとても美しく描かれている。まだうまく言葉にできないのだけど、「あぁ、そいういうことなのだな」と大量の涙が流れて怒りや悲しみが癒えていっているように感じた。

こういう癒しのようなことが、まさか毛嫌いしていた日本のアニメで起こって心底驚いた。そして、残酷なシーンも見られるようになった。その理由は残酷なシーンに慣れたということではなくて、わたしがこのアニメを通じて今まで受け入れられなかったことを受け入れられるようになったということだと思っている。つまり、そういう世界に生きている自分をやっと受け入れられたということになるのかな…ふふふ。

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