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17歳の日記 -1980/07-

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マガジン『17歳の日記』では、1980年に書いた日記を原文ママに、人名・地名を仮名に変更しています。
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#試合

1980/07/13 優勝すれば、先生のおごりで串五郎という話だから、何としても勝ちたい。

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの感想とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) 日記があまりに長いため7月13日Vol.2になります。 ドキドキの球技大会です。 7月13日(月)晴 先輩のトスには見ていて感激した。アタックラインあたりのボールでもネット近くに華麗なトスが上がっていた。とにかく、うまかった。 試合前の練習ではスパイクがよく決まっていたが、試合では二浦がいるために打つチャンスがなかったのが、私としては残念だったが、二浦が決め

1980/07/14 サーブを打つ時の手は、縮んでいた。

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの考察とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) 球技大会は本当に楽しそう・・・ バレー部の試合の時と違いイキイキしています。 7月14日(火)曇のち雨 Vol.1   対10組(川崎チーム)戦は、大変苦しかったけれども勝てた。 1セット目は、大変調子がよく取ったけれども、2セット目になると、川崎のスパイクがよく決まるようになり取られてしまった。 3セット目でも、11–11ぐらいの所で、タケシと二浦が連続でサ

1980/07/14 とにかくいい試合だった。できれば、勝ちたかった。

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの考察とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) Vol.2から続いているバレーの試合、 いよいよ最終決戦です。 7月14日(火)曇のち雨 Vol.3 試合開始の笛が鳴ると、ワァーと拍手が起こり大変燃えた。 だが、サーブカットがうまくいかないので2セット目は、 あっさり取られてしまった。 真昭が体育館になってから絶好調になり、こういちも打たずに、 フェイントでくるようになったので取られたのであろう。 それ