熊代竜太朗という一人の人間

こんにちは、noteをはじめてみました。

これは僕自身がどんな人間であるかを”自分”のために、振り返る、日記的なものにしようと考えています。

”自分ってどういう人間なんだろう”

最近ふと思うようになったのです。

そしてこのように文字起こししながら、良い点は褒め、悪い点は改善していけるように自分自身を見つめなおそうと思って、ただ自己満足のために書いています。

興味のある方のみ、ご覧ください。







まずこれを書いている間も酒を飲んでいる。

酒は熊代にとっちゃ必需品だ、なんてったって酒は裏切らない。

そりゃ昔は煽るように飲み毎日吐いていた。

それに比べて今は大人になったと思う。

19歳で東京に出てきて11年が経とうとしている。

理由なんて案外簡単なもんで”ハタチまでに一人暮らしをしなさい”と、そう母に言われベースと衣服、それに現金で30万を持って飛び出した。

すごく衝動的だったので地元の友だちにもなにも言わず出て行った。

なので当然見送りは母一人。(地元の仲間には後に軽く怒られた)



小学1年に父が蒸発してから母子家庭で育った。

それからというもの、母にはかなり厳しくされたと思う。

典型的な”ヨソはヨソ、ウチはウチ”を徹底的に教えられてた。

もちろん裕福ではないし、一般的な家庭に比べてかなり制限されてたと思う。(おれの下に二人の妹もいたこともあり)

母はヒステリックだった。

あれしなさい、これしなさい。これが毎日続いた。

母は一度怒るともう手がつけられなかった。

母が怒ったときの返事は

”はい”

としか言えなかった。

口答えしようもんなら、さらに怒りが覆いかぶさってくるのが怖くて怖くてたまらなかった。

”我慢しなさい”

それが口癖。

みんなが持ってるものや話していることについていけないことが多かった。

自宅で母が怒りモードのときは思ってる事を発言することもままならなった。

時間が経ち落ち着いてきたころに、自主的に洗い物や掃除をしご機嫌取りをしていた。

当然、褒められることもないし(自分が母の意見にそぐわないから怒ってるわけで)怒られているのがわかったら態度で示せ、ってな教訓だったもんでそれが普通だった。




これは実はいまも、おれの中に根強く残っている。

おれは人に自分のことを話すのが苦手だ。

よく母を観察していたから、同じ空間にいる人を見ればなんとなくどんなことを考えているかなんとなくわかる。

そしておそらく”こうしたいんだろうな”、”この人はなんで言いたいことをこんなにも回りくどく話すんだろう”、”あ、あいつ黙って聞いてるけどめんどくさそう”みたいなのが人よりよく見える。

気がする。

そういった我慢しすぎた過去があるから、いまの熊代は誤解されやすいのかなーなんて思ったり。

めんどくさくなってきたんで今日はこれで終わり!


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