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ちょうどいい幸せ ⑥

【3つのノート】

彼女が旅立って10日が過ぎた

その間、たくさんの人がひっきりなしに出入りしていたこの部屋に今はひとりきり…

胸が苦しい

ボクはここで彼女が亡くなってから、ずっと胸の奥にしまっていた《彼女と過した日々》を思い出すことになる

喉の奥でずっと我慢していた
瞳の奥でずっと我慢していた

一人になる…そんな事で簡単に堰は切れる

呼んだ

君の名前だけを何度も何度も

叫んだ

言葉ならない声で慟哭そして嗚咽

涙は枯れない…枯れてくれない

涙で頬が痛くなる、漏れる声で顎が痛くなる

それでも溢れ出てくる

それは子供のように泣き疲れて眠るまで続いた

カーテンが開けっ放しの窓から月明かりが部屋の中に射し込む
その光は二つ並んだカラーボックスの一箇所を照らしていた

目を開いた先にはルーズリーフのバインダーが三冊
何気にその中の薄い赤色のバインダーを取り出す

《れしぴ》

表紙には彼女の丸い文字で書かれている

そして下手くそなオムライスの絵

「こんなの食わしてもらってねーよ」

そう言いながらノートを開いて1枚1枚捲る

新聞の切り抜きが貼ってあったり、ケーキの焼き方や手描きの完成図、もちろん骨付き鶏もも肉のスープのレシピもある


「焼きさつま揚げ?なんだよこれ…」

フライパンに丸いさつま揚げを並べた絵
呆れ返りそうになったけれど…

(辛いの苦手・一味でなく七味を一振り)

全てがボクの好みに合わせた味付けにアレンジされている

そして《離乳食》と書かれた頁

そこは今までの料理よりも事細かに作り方が書かれていた

彼女は信じていたのだ、いつかきっと子供が口から食事を取ってくれることを
何時も「ごめんねごめんね痛くない?」そう言いながら子供の鼻にチューブを通す
そして、ミルクをゆっくりと流し込む、逆流するミルクを拭きながら

何度も何度も「ごめんね」と「美味しい?」を繰り返す

ボクが怖がって出来なかった事を、彼女はやってのけていたのだ

彼女だってどれだけ怖かったか

「可愛い可愛いだけじゃ子供は育てられないんだよ」

この言葉をどんな気持ちで言っていたのか、ボクにも自分にも言い聞かせていたんだろう

自分の不甲斐なさに情けなさが込み上げてくる

だから子供の写真に向かって誤魔化すように

「ママのご飯美味かったよな、お前もそう思うよな?」

そんな1人芝居じみた台詞で荒んだ心を落ち着かせる

冷蔵庫から水を取り出しそれを一息に飲み干す
そして次の青いバインダーに手をかける

それを引き出すとそこに挟んであったひと回り小さい冊子が床に落ちた

表紙に書いてあったのは

《しあわせなこと》

そして、また下手くそな親子3人の絵

こぼれ落ちたのは写真のアルバムだ

お揃いのカーディガンを着た写真や手を肩に回して撮った摩周湖での写真
大きなお腹で赤ちゃんの肌着を拡げてみせている写真に病院で退院の時に撮った親子3人の写真……

そして青い表紙を開く

二人で巡った観光地の駐車券やホテルのパンフレット、お土産に買った物や食べた物のレシート…
それが日付けと共に綺麗に貼られている

そこで口喧嘩した時にボクの言ったひとことに、わざわざ(怒)のマークをつけた彼女本人の似顔絵を描いて

「ソフトクリーム絶品」や「ゆで卵を二つ食べた」

そんな事が何ページも書いてある

そしてそれぞれの最後に「しあわせな時間」と言う言葉で締め括ってある

彼女はいつも言っていた

「これくらいがちょうどいいんだよ」

だから人を羨むこともない

月末お金が足りなくて、おかずが一品しかなくて…

そんな時でさえ笑いがらこう言った

「だから気づくんだよ、こんな時でも二人一緒にいられる事の幸せに」

そしてまたページを捲る

ここからは三人の物語が綴られて行く……

そこでボクはハッとする

勝手にもう1冊は子供が産まれてからの事だと勝手に思っていたから

ボクはカラーボックスに残る黄色のバインダーに手を伸ばす

《病気のこと》

表紙には他の二冊と違う少し強ばった文字

文字の下に下手くそなイラストは描いていない、その代わりに

「ごめんね」

と書いてあった

To be continue……

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