英語へのこだわりからの脱却。こだわりを捨て自由になる。こだわりが限界をもたらすこともある。
英語にこだわらなくてもいいんだ!!
英語に抱いた強迫観念的なこだわり
僕は、絵がだめでしたので、それが明らかになったのち、好きなこと、できることと言ったら、絵と同じく、幼い時から、やり続けてきた英語以外なく、その英語で生き抜くと、考え、頑張ってきました。
年齢的にも、当時、44歳と、背水の陣でした。やりたくない仕事、些末な業務が増え続ける、サービス残業、固定給をやり続けるか、少しでも、英語にかかわれることを仕事にするという最後のチャンスでした。もう後がなかった。
その気持ちは、面接では時に、非現実だと思われ、圧迫面接などでも、こだわりすぎと揶揄されたり、親しい身近な人からですら(なんでそこまで英語?)といわれる始末でした。
・なんでそこまで英語?英語だけできても意味ないですよ
・人生真面目に考えてますか?何言ってんですか、あなた・・
・英語で人生を変える?すごいこと考えちゃってますね。アハハハ
みたいな言葉とともに、何回も面接に落とされて・・
生い立ちからくるこだわりの強化
行き過ぎたこだわりは限界感をもたらす
物事にこだわりすぎると、それが限界をもたらすということも起こりえます。何が何でも英語・・・あるいは○○なんだ!と、考えたり、行動するということは、こだわり以外は、選択肢から、除去されるということです。それは、一方通行です。もし、こだわらなければ、数々の迂回ルート、可能性があるかもしれないのに、その道を閉ざしてしまう面もあるのです。
運がよかったに過ぎない
しかし、たまたま、僕は運がよかった。そのこだわりは、機会にも恵まれ、45歳の時の英文事務に正規雇用され、その2年で、英検1級も崩し、47歳の時、ついに子供のころからの夢だった通訳職への転職という形で、結実しました。
確かに大好きな英語でご飯が食べれる、それが仕事である、人生の武器、職歴にしていける、夢をかなえたという分では、素晴らしいことでした。英文事務も、通訳も、挑戦の気持ちとして、ついた仕事ですが、やりがいもあり素晴らしいものです。
ネイティヴたちとの、英語のこだわり、英語観の違い
そして、彼等には英語のこだわり(何が何でも、英語で働く、英語で何かする)がありません。僕のような何が何でも、英語で生きるんだ!という力んだ人はいませんでした。
はじめ、僕は、それは
と仮説を立てました。
僕は英語検定も44歳を過ぎてから目指して、取得してきたし、初めて英語で働けたのは45歳の時でした。英語はまだまだだし、ニュージーランド大学院就学もしたいと思っている。英語経験の過渡にある。だから、こだわりも強いのだと。
彼らは当然、英語で大学まで経験し、多くの職場で、英語を武器にした人生を歩んでいますが、経歴も様々でした。
英語自然話者からの一言
そんなある日、通訳の一人の先輩が
と、アドバイスしてくれて、前のめりのアンバランスな気持ちがほぐされていきました。
行き過ぎに気が付く
到達できない次元との折り合いをつける
こうしたネイティヴ、ハーフ、幼少期から海外で生きてきた人の英語には、自分がいくら努力ても、到達できないな‥と、通訳として働く中で、明らかにもなりました。(努力が無駄とか、英語をだからやる意味はないんだという意味じゃなくて・・)また、2,3歳から、英語環境に身をおいて、わずか、4年程度で、英語で思考し苦も無く話す児童を多く目にする機会もあり・・・・自分の英語へのこだわり・・そうした次元を目指すことにも、徒労を感じるようになりました‥。
こだわりを捨ていていく
英語と自分、その目的を明確に理解し、あらゆる可能性の一つと、考え直すことが最近、できるようになりました。今でも、英語習得は、ニュージーランド大学院就学の夢の実現のため、また、人生のゴールの志を遂げる腕、最重要ですが、それと、何が何でも、英語、英語しかないというこれまでのこだわりは、また別だと思えるようになりました。英語学習者は、いつしか、こうしたこだわりと、ある程度、距離を置かないと、燃え尽きてしまうと思います。
など、大切なこととは思いますが、それより、自分、人生、機会を見据えて、それらを阻害しない英語人生を送ることも大切だと思う次第です。
何が何でも英語という狭い考えからの脱却を目指して
最近では何が何でも、英語で働いて、英語を専門とし、英語で人生を生き抜くという狭い決意から、脱却しつつあります。英語は今でも、僕の人生の大切な場所を占めますが、それにこだわらず、目を曇らせず、人生の機会、成長のチャンスをつかんでいきたいと考えています。
・人生の現在の状況
・自分が自由にできるお金
・年齢
という要素が混ざり合い、そのこだわりが、あの時のあなた(若い頃のあなた)には、最適解でも、現在のあなたには、最適解ではない場合が起こってきます。そうした際に、こだわりを貫き、狭い視野と、選択肢のままとどまるか?こだわりを捨てて、限界点を超えるか・・・皆さんも、いずれは、ご自身が持つこだわりと再び向き合う日が来ると思います。