「父親たちの星条旗」原作。日本軍と死闘を繰り広げたアメリカ海兵隊の若者の実像。当時、日本より、圧倒的に豊かなアメリカというイメージを覆す海兵隊士たちの生い立ちなど。
硫黄島で、日本軍と死闘を繰り広げた米海兵隊。
海兵隊は、志願兵のみ。
強襲、上陸専用に訓練された部隊。
硫黄島は、海兵隊が上陸する前に、繰り返し、爆撃され、艦砲射撃を受け、膨大な鉄弾が、叩き込まれていた、。
島は、上空から、執拗に、偵察され、空撮されたが、
写真では、日本兵の姿や、大砲の姿は、全く、確認できなかった。
アメリカ側は、この島は、数日で、制圧できると、予測していた、。
しかし、栗林中将の指揮のもと、日本軍は、島全体を、巧な砲陣と、掩体壕、地下通路で、連携させ、徹底して、要塞化し、万全の防衛、迎撃体制を整えていた。
アメリカの執拗な爆撃、砲撃も、ほとんど、この島の日本軍には、打撃になっていなかった、。
海兵隊の上陸に備え、火力、着弾標準を計算し尽くし、この島を取られたら、もう、後がない!と、将兵が一致し、死守する体制を整えて待ち構えていたのである、。
アメリカ海兵隊は、そんなところに、
上陸作戦を展開したのである。
Dディ、上陸の日、一瞬にして、数千人が死傷した、。
志願して、この島に来ていた30000以上の海兵隊の中の6名が、有名な写真に関わった、。
その6人は、皆、裕福ではない農場や、牧場、母子家庭、移民の子供として生まれた青年たちだった、。
旗を立てた6人は、周囲の思惑、政治、報道に翻弄されて、。
、、読了した。
有名な写真は、実は、1回目に掲げた旗を、
より大きめのものに取り替えた2回目の掲揚だった。
意外なのは、アメリカ兵たちの生まれだった。
あの時代、アメリカと日本の豊かさの差は、決定的だったはずだ、。
しかし、海兵隊に志願し、旗を立てた若者たちは、決して、豊かではない階級の青年たちだった、。
戦争になれば、若いものが真っ先に死ぬ、。
写真の後ろ姿を見た、6人のうちの一人の母親は、詳細がわかる前に、息子が写っていると確信していた。
後姿だけで、
「母親は、後ろ姿でわかる。おしめ、オムツを何回も変えたお尻を見ればわかるのよ」
と、語っていたところが、心に残る、。
硫黄島は、米海兵隊にとって、地獄だった、。
この島に上陸したら、3人に1人が、死傷する、。
この戦場は、アメリカ海兵隊が体験した中で、もっとも、損害を被った、アメリカ海兵隊の死傷者が、日本軍を上回った唯一の戦場である、。
旗を立てた6人のうち、3人が、
その後、帰らぬ人となっていることからも、
その最悪な様がわかる、。
また、アメリカ側の視点を介して、
日本の兵隊がいかに、鬼神の戦いをしたかもわかる、。硫黄島は、絶対に、アメリカに渡せない島だった。
だから、栗林中将以下、26000の兵士は、死に物狂いで、戦ったのだ、。
この島を失うと、日本本土が、直接爆撃にさらされてしまうのだ、。
複雑な思いが残る本である、。
戦争はなくすしかないと、、あってはいけないと、感じる、。
ぼくは、イーストウッド 監督の映画が好きで、
もちろん、この映画化も、すでに見ている。
しかし、原作、本ならではの考えこまざる得ない時間を過ごした。
子供の頃から、絵を描くことが大好きです!オリジナルキャラのペン画を制作しています。いい絵を描ける日が来ればいいと思い、日々、制作しています。ニュージーランドにつながるための道としての英語学習、TOEIC900点トライ!も、継続中です。サポートしていただけたら、ありがたいです!!