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愛川町議会意見交換会 (愛川町日記 2016年5月14日より転載)

今日はなかなかのハードスケジュールでしたが
時間があいたので
愛川町議会意見交換会へ
今年で5回目です。


様々な意見が飛び交いました。

頭の上を飛び交う意見の下で
ちょっと思いました。

「この町はどこに進むのだろう」

ふと。

そんな感情を抱くと
まわりが無色透明に変化した。
「パフォーマンス」や「犯人探し」「駄々っ子」
色々なモノが異質なキーワードで僕の頭を飛び越えていく。

そこに答えはない。そこに答えを求めてはいけない。

見渡せば
ここにいるのは50人程度。
じゃあ、残りの4万人以上の愛川町
の人は

何を想うのか?

この町になにも想わないのか?

この町になにも求めないのか?

ここにいる50人くらいがすべてではない。

ここにいる50人くらいがすべてとは思いたくない。

ここにいる50人は声を発する方法を持ち、声をあらげる術もある。

ただ。
それをもたず
(正確には持っている。行使せず、が正しいか)
4万人の声なき声は

どこへ行くのか?

どこへ消えるのか?

僕が綴る愛川町の事は砂塵の幻なのか。

砂塵の奥から何か聴こえる

「国家が自分の為に何をしてくれるか考える前に、自分が国家の為に何ができるのか考えなさい」

ああそうだ。
ケネディ大統領の言葉だ。

しかし、この金言すら僕の頭を飛び交う言葉にかきけされる。

なにも求めてはいけないのか?

なにも行動は起こせないのか?

常にリバイアサンの如く私たちは怯え続け、

犯人を、悪を凶弾し続け歩みを止めなくてさならないのか?

なんだかもやもやとした1日だった。


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