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スケートリンクの思ひ出~20年以上前のあの日、大阪で~

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でーんと
愛川町役場。

愛川通信の収録に来たのですが

「外に移動します」

むむ・・・
いつにない展開・・・

外に出ると

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おお。電光掲示板。最新型。

今日から運用で。というわけで、それを僕に見せたかったらしく。

ういやつめ。愛川町。

で、収録は何事もなく終わりました。

お次は

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今日は12月分の収録なので、次は来年一月の収録。

というわけで

「よいお年を。また来年」

こうやって、11月から月光団の一年は一気に暮れていきます

MOVIX橋本の帰りに、アリオ橋本へ

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スケートリンクができてました。

僕はスケートの経験が1度だけです。

アメリカに行く日。

両親と弟が、「日本に悔いが残らないように」と生まれて初めて宮崎市内のスケートリンクに行きました。そのあとはボーリング。
スケートの経験はその時だけです。


で、そのあとは夜行バスで宮崎を出ます。なんか美味しいものも食べたな
まあ、母と弟とは気を使ってくれて、父はめんどくさそうでしたが。

今から20年以上前の当時はアメリカに行くなんて、「二度と会えない」という覚悟が必要でした。ましてや、宮崎のド田舎の人間です。アメリカなんて宇宙にいくより遠いですよ、当時は。

夜行バスではまるで戦地に行くような涙の別れです。母と弟は。父は姿が見えず。

夜行バスで宮崎を出て、翌朝福岡。福岡から人生2度目の新幹線で大阪。

翌日の関空からの飛行機で、日本を発ちます。

大阪では父のサーフィン仲間が世話をしてくれました。

「おまえの親父さんから」

と、父のサーフィン仲間。サーフィン仲間といっても父とは30年以上の付き合いです。

「お金を預かっている。結構な大金だ」

初めて知りました。そんなことになっているとは。

「そして、親父さんからのお願いでな。<息子に日本に未練を残さないためにこの金である場所に連れて行ってほしい>と言われている」

当時のサーフショップて儲かりません(今もそうだけど)。
そんな中で作ってくれた父の「息子の日本最後の日」。
父のサーフィン仲間は続けます。

「このお金は使えない。お前に渡すからアメリカで使え。そして、俺の金で親父さんが言うある場所へ連れていく」

海の男の連帯感とはこれです。昔はこういう漢気ある話が多かったなー。サーファーでも。

ドラマ「北の国から」のどらだらけの1万円札みたいなやり取りあり、

「いいな。日本に悔いを残すな。アメリカで男になるまで帰ってくるな」

僕はこの台詞に大きくうなづいたのを覚えています。

そして。

「最後の日本だ。親父さんが言っていたある場所へ行くぞ」

僕はこぶしを握りました。生唾を飲み込みました

「いくぞ!高級風俗だ!」

僕の大声の返事にかぶさるように、サーフィン仲間の奥さんの関西弁でのどぎついツッコミが入りました。サーフィン仲間は2、3発頭をはたかれ、僕は何も知らない純粋な顔でテレビに映る阪神戦に視線をうつしました

結局は、高級風俗は高級しゃぶしゃぶとなり
大阪で男になり損ねた僕は、日本に悔いを残したままアメリカへと旅立ちました。


あれから。20年以上。

今でもスケートリンクを見ると

あの時に行くはずだった高級風俗「オオサカダイヤモンド」の名前を思い出します。

いい想い出です。


相模原でのスケートリンクといえば、銀河アリーナですが

このサイズのリンクも楽しそうだね。

ここなら僕もトリプルアクセルできそうです。がんばります。

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