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祖母と紫陽花

今日は祖母の三周忌。

2年前の梅雨時期、実家の庭でよく見ていた紫陽花。告別式の時、町のいたるところに見事に咲いた紫陽花を送迎のバスから見ながら、見えない祖母の存在を感じていたこと。そんな思い出から紫陽花を見ると祖母を思い出します。

祖母を花に例えるなら紫陽花だなぁ、と昔から思っていました。そんな色の服をよく着ていたからというのもありますが、梅雨空の下、緑の中で堂々と咲いているその佇まいが祖母の存在感と似ていたのだと思います。

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祖母は89歳まで大きな病気をすることなくずっと健康でした。

常にしっかり者で、気も強く、家のことも家業の農家のこともきっちりとやってきた祖母。85歳を過ぎてだんだんと体が動かなくなっていたけれど、それでも家族で一番と言っていいくらい記憶力もよく、みんなの頼りになっていました。

そんなこともあってか私は祖母がいなくなることを想像したことがありませんでした。

肺炎で入院した時も、亡くなるとは全く思っていなくて「家にはもう帰れないかもしれない。施設に入ることになってしまうのかな。」と、そんなことを考えていました。入院から1ヶ月もせず、祖母が亡くなってしまった時はただ茫然自失、信じられませんでした。あまりにも大きな喪失感でした。

病院から祖母が自宅に戻ってきて通夜までの間、通夜、葬儀。家族や親戚や地域の人たちと過ごした時間は悲しくて寂しいけれども、同時に特別な幸せな時間だったと思います。

祖母の命は私たちに大切なものを残してくれました。

ひとりの命の重さ。

命の大切さの前では、そのほか全てが小さなこと。

祖母の人生、祖母が守ってきたもの、それを深く知る。

たくさんの祖母との思い出、大切にされてきたという記憶、働きものの背中、それらを思い出しながら家族で過ごした時間、その時私の中に芽生えた気持ち。

うまく言えないけど、感じたことを一言で言い表すなら、それは愛、と言えるのかもしれません。

全てが私に与えられたオンリーワンの大切なもの、そう感じられていることが幸せだなと思います。

コロナも落ち着いてきたのかな。

そろそろ実家に帰ってお墓やお仏壇にお線香をあげたいです。千葉の緑も恋しいそんな6月です。

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