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女性は無意識に男性を立ててしまう。

帰省してきました。意気込んで行ったおかげでたくさんの気づきがあり、モヤモヤ悔しい思いばかりにはなりませんでした。改めてわかったことは「女性は無意識に男性を立ててしまう」ということ。「しまう」がポイントです。やりたくてやっている、やらざるを得ない、というよりも無意識に自動的にそうしているのです。

夫の実家は子どもたちにそれぞれ家族がいますが、全員が揃ってお墓参りをすることに強い思いがあります。実家から遠くに住む子どもたちが家族を連れて帰省して喜ぶのも束の間、まず一番にお墓参りなのです。お墓は夫の父方のお墓。お母さんは生前の舅と姑から意地悪をされて辛い経験があったと聞いています。だからそれを知ってる夫も兄弟たちもお墓の祖父母には複雑な思いがあるようです。そんな中で夫のお母さんが墓前で「おじいちゃん、今年もみんな揃ってお参りに来たよ。おじいちゃんのおかげだよ、ありがとう」と言いました。皆が複雑な顔をしている中で唯一お父さんだけは嬉しそうに微笑んでいました。

妹の夫がお墓参りのあとで体調が悪くなり急遽一人で帰ることになりました。後日、妹から私たちへメールが届きました。「途中で帰ることになって本人がとても残念がっている。もっとみんなと話がしたかったと言っている」というような内容でした。でも、そんなことを言うような人には思えないのです。だっていつも面倒くさそうに実家にいるし、誰かに話しかけることもなく携帯を見ている人だから。ではなぜそういうメールを妹は送ってきたのか。妹が夫を立てる気遣いに疑問が湧きました。

お母さんは、お墓参りのあと舅や姑との辛い経験をまた話していました。そしてその時も今も何もしないお父さん(お母さんの夫)に腹が立つと言います。妹も途中で帰った夫の体調を気遣う私たちに「大げさに言っているだけだからほっとけばいい」と言いました。二人とも夫へのなんとも言えない憤りを抱えていることが伝わってきました。

この本音と言動のちぐはぐさに私はゾッとしています。男性を立てることが女性としての役目だと無意識に思っているように感じるのです。こういう場面ではこう言った方がいい、それが正解でしょ。ただそれだけで選んだ言動のように感じました。だから本音と行動が食い違っている。でもそれに本人は気づいていません。思っていないことはしなくてもいいのに。

夫に今回の帰省で私が感じたことを全部話しました。私の見解に一定の理解は示しつつも「そんな風に見るの?ずいぶん意地悪な視点だね」と言わんばかり。無意識なら無理をしているわけではないんだからそれでいいじゃない、ということらしい。ただ一つ、お母さんへの思いはあるようで「確かにそこまで言わなくてもいいのにと思った」と話していました。墓前でもまだ舅を立てる、もしくは舅をたてることで夫を立てていた母親の姿には心が動いたようです。

無意識は意識していないこと。自分には何の負担もないかもしれません。でもそれを聞いた私には違和感があったしストレスを感じました。またそれを聞いている子どもは無意識にその状況を学習します。それは本当に私たちが望んでいることなのか。自分の娘が男性を立てる姿、または女性に立ててもらって裸の王様になっていく息子を見ていられるのか。そして自分の言動に違和感を感じる人がいることを知らずにこの先も過ごしていくのか。だから私たちは気づいてそれを止める努力が必要だと改めて思いました。

今回の私の反省は気づいたときにそれを言わなかったことです。批判や反論をするのではなくて、お母さんや妹に本当はどう思っているのか、もしくはそれを見て微笑んでいたお父さんに真意を聞けばよかったと思っています。年末の帰省ではそれを目標にしようと決めました。

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