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【せごどんで注目!今、行きたい西南戦争決戦の地「田原坂(たばるざか)」】

 大河ドラマ「せごどん」がいよいよ西南戦争の場面になった。西南戦争といえば、熊本城における政府軍と薩摩軍の籠城戦が有名である。しかし、戦争の形勢を決める分水嶺の戦いは熊本城での戦いではなく、「田原坂(たばるざか)」という場所で行われた戦いであった。西南戦争の最大の激戦地とも言われる田原坂の戦いとは、どのような戦いだったのだろうか。

○政府軍だけで1日約32万発の銃弾が飛び交う
 西南戦争全体が大砲や小銃を中心とした日本初の本格的な近代戦となった中で、田原坂では1日に打ちあった弾丸の数が、政府軍だけでも最大32万発にのぼったと言われている。日中9時間と計算しても、1分間に約600発が飛び交うという、激しい銃弾戦であったことがうかがえる。膨大な弾を撃ち合ったため、弾同士が空中で激突するほどで、今も田原坂からは、互いに激突して変形した「かちあい弾」が出土する。戦場が南九州を中心に多くある中で、西南戦争の総死者数の4分の1にあたる3500名の人々が田原坂の戦いで命を落としている。その激しさから、田原坂は西南戦争最大の激戦地と呼ばれている。

○田原坂が激戦地となった理由
 田原坂は、熊本市と玉名市(熊本市の上隣にある市)を結ぶ、幅4m、長さ1.5km、標高差60mの坂で、歩けば30分で渡りきることのできる緩やかな坂である。この坂をめぐって、1877年3月4日~3月20日の17日間、政府軍と薩摩軍の戦闘が行われた。田原坂は、大砲が通れる唯一の道であったため、政府軍にとって、熊本城で籠城している主力部隊を援助するためには必ず通らなければならない道であった。その政府軍の進軍を阻止するために薩摩軍が防衛線を張ることで、田原坂が激戦地となったのである。

○さらに詳しく知りたい人は田原坂歴史資料館へ
 田原坂の戦いを詳しく知ることができる田原坂歴史資料館が熊本市内にある。田原坂の戦いにおける出土品や立体模型の展示、体感型の再現VTRなどがあり、約1時間あれば全てを見ることができる。熊本駅から田原坂駅までJRでつながっており、そこから徒歩30分で着く。景色も良いため、景観を楽しみながら資料館まで行くことができるだろう。特に大河ドラマ「せごどん」の視聴者はぜひ一度行ってもらいたい。

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