1週間前。

I love you.
あなたはこれをなんと訳しますか。
32人が考えて。
10分ののち、答えが出揃った。
やっぱり、十人十色。
その中でも最も得票数が多かったもの、
「生きてください」

これを見たとき、実はわたしは
げって思った。
ほんとに声に出てなかったか不安に思うほどの、「げっ」があった。
もちろん、投票できなかった。

わたしにとって生とは、なんだかやっぱり辛くて、苦しいもので。
人工呼吸器つけたり点滴したりして、死ぬ間際まで、苦しそうな姿を見る機会がどうしてもあって。

そうまでして生きなきゃならないのかな。
こんな苦しいならなにもせずに逝かせてあげたらいいのにな。

仕事柄、こんな風に思うことが少なくないほど、ある。
「死は生からの解放」
そんな風にさえ、最近では思ってた。

こんな背景もあって、
「生きてください」にはどうしても拒否反応が出てしまった。

でも、幸いなことにこの一文はたくさんの共感を得ていて、この作者の意図を聞くことができた。

それを聞いて不思議なほど、納得してる自分がいた。受け入れられてた。

そして、
誰かの生が途絶えること。
このことに対してあまりにも無感情になっている自分がいることに気がついた。

心電図がピーってフラットになる瞬間。
確かに1年目のときにはたっくさんの感情が湧き出てたはずなのに。最近のわたし、何感じてたのかな。それすらも思い出せないことに気がついた。

こうやって、「生きていてくれるだけで。」そんな、生についての全肯定を見ること。
そして、そこにたくさんの共感者がいること。

目から鱗だった。
そして、羨ましくもあった。

わたしは、きっとそんな風に思えない。悲しいけど、これからもずっと。

でも、忘れていた、恐らくごく一般的な感情。
知らないうちに当たり前は当たり前でなくなっていて。

自分の当たり前が、世間の当たり前ではないかもしれない。
そんな危機感は持ち続けたい。そう思った。

ことばの企画のなかで、もともとの意図とはぜんぜん違うかもしれないけれど、自分の中の大発見。
残しとかないと忘れそうで。
自分への戒めの意味も込めてnoteに残しちゃう。
おやすみなさい。

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