祈るとか悔やむとか

よく書かれている「ご冥福をお祈りします」の意味が、今まで噛み砕けなかった。「お悔やみ申し上げます」の方はまだ分かるのだが。
幸い、身近な人を若くして、もしくは突然亡くしたことが未だ無いからだろうか。その構文を見ても、妙に他人事だなと思ってしまっていた。結婚報告の文章を妙にこねくり回して逆にダサくなってしまう人の心理と似たものではないかと思う。定型文すぎると込められた気持ちが汲み取れない。

好きなバンドの人がいなくなってしまったのだが、こういう場合、姿を目にすることもなければ通夜や葬式に参列することもないので、とにかく実感がない。何もわからないけどもう居ないらしい、そう書いてあるな、という程度の認識しか出来ない。SNSとネットニュースのトレンドから消えて、誰もその話をしなくなったら余計に分からなくなった。何なんだろうな。自分がだいぶ落ち込んでることはどうにか分かる。

そういう終わらせ方で居なくなってしまった事、自殺という大きな概念をまるごと肯定する気はさらさら無いのだが、今少しでも楽になってくれていればいいなと思う。彼女のその選択と、もう変えられない事実を責めたくない気持ちがある。
でももし私が彼女と近しかったら怒っただろうな。だから怒る人の気持ちも否定したくない。
たぶんその、「少しでも楽になっていてほしい」の言い換えが「ご冥福をお祈りします」なのだろう。初めてこの言葉が理解できた気がした。

もう少し辛くなくなったら、彼女の曲をたくさん聴きたい。これからも大好きでいたい。

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