見出し画像

旅行のデジタル化。スマホを手にして得たものと失ったもの。

久しぶりに遠方に旅行に出かけた。
ほぼ6年ぶりということもあり、旅のデジタル化がぐっと進んでいることに驚いた。

飛行機はオンラインで事前チェックイン、搭乗券もスマホのQRコード。
新幹線もネット予約で、手持ちのSuicaと連携するだけ。
ローカルバスの1日乗車券もオンライン購入、乗り降りの際にスマホ画面を提示するだけ。

支払いの面でも、クレカやQR決済を使えなかったのは2か所だけ。現金の出番はほぼなかった。

ガイドブックもスマホにダウンロード。
旅行アプリならさらに便利で、徒歩やタクシーでの所要時間、鉄道の時刻表どころか、最寄りのバス亭までのルートと次便の時刻まで教えてくれる。

日本のDX化は遅れている~と散々言われていたけれど、なかなかそうでもない。遅れているのは社会全体ではなく、6年ぶりに陸に戻ってきた浦島太郎の自分だけだ。何か一つ新しいことをやる度にもたついていた。

インバウンドの外国人旅行者は、言葉が通じないということもあってか、よりスマホありきの旅をしているようだった。

とある人気の飲食店。注文システムが独特で、日本人でもまごつくほどなのに、外国人旅行者のグループのほとんどはすんなり注文していた。
おみやげ屋でも、スマホ画像と見比べて、特定の商品だけをピンポイントで探している。
全てネットで事前に情報を得ているようで、迷ったり困ったりする様子はなく、そして目的の場所や商品以外のものは、まるで視界に入ってないかのようだった。

アクシデントもトラブルもなく、同行者以外とは誰とも会話せずに済んでしまう旅。
全てがスムーズで快適なんだけれども、実は風光明媚な観光地やおいしい料理よりも、思わぬアクシデントや通りすがりの誰かと交わした他愛ない会話の方が、意外と思い出になってずっと記憶に残るんだけどなぁと寂しくなったりして。

スマホの普及で旅の様式ががらりと変わった。
誰かの体験談を追体験し、訪れた証明のためだけにスマホで撮影し続けているような。次第に、ネット上の口コミや加工された美しい画像の方がリアルで、同じ空間で隣に並んでいる人が仮想存在かのような錯覚を覚えてきた。

これからは、旅でリアルな感覚を得るのが難しくなりそうだと感じた。
近い将来にはVRメタバース旅行で十分という流れになるのかな。各地の料理もネットでお取り寄せできそうだし。
コト消費の旅行が流行りつつあったり、慣れていないのに旅先で山登りをしたり、混雑する祭りに出向いて人の群れにもまれたりするのは、そうでもしないとリアルを感じられる機会がないからなのかも。

帰路の電車の中で、外国人旅行者らしきファミリーと乗り合わせた。
5歳くらいの男の子が電車内の様子や車窓の風景に歓声をあげ、楽しそうにご両親に話しかけていたけれど、ママさんは一度もスマホから目を上げることはなく、パパさんも一言も言葉を返さなかった。

親御さんの気持ちは痛いほど分かる。次の目的地について調べておかないといけないし、子どもを連れての海外旅行は気が張るだろう。ただただ景色や雰囲気を楽しむというのは難しい。
私も帰路で肩の荷が下りていたからこそ、スマホから目を離していただけだ。

加工された画像ではない澄んだ夏の空、その土地その時期特有の山の緑の色、心地よい電車の振動。
スマホを手にしたとたん視界から消えてしまう、リアルな日本の情景を、男の子の心の中に持ち帰ってほしいなぁと思ってながめていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?