より良く伝える。(17/366)
デザインは「より良く伝える」ための、ひとつの手段だと考えています。だから、地球上に人類が存在するかぎり、デザインは必要不可欠なものです。マトリックスのようにプラグで接続されたり、攻殻機動隊のように電脳化されなければ、ですが。
人と人のコミュニケーションは言葉によって行われます。そして、言葉は思っている以上に曖昧なものでもあります。とくに日本語では、発音は同じでも意味が違う同音異義語のようなものもありますし。だから、言葉でのコミュニケーションは、表情など他の要素を観察しながら行われています、無意識に。日本人なら目、欧米人は口、なんでしょうね。マスクをつけたままコミュニケーションを取ることは普通になっていますが(相手に失礼だとは思いますので余程の理由がないかぎりしませんが)、サングラスをかけたままのコミュニケーションには違和感を感じてしまうので。文化の違いでしょうね。
私は、同じ時間、同じ場所を共有して行われる直接的な会話や対話こそ最高のコミュニケーションの手段だと思っています。だから、メールやメッセージ、チャットはあまり好きではありません。相手の顔、表情、目が見えないので。働き方改革が目指すべきなのは、そういう原点回帰的なものなんじゃないかな。
そして、人と人の直接コミュニケーションには限界もあります。それは、伝えられる情報の量が時間によって制限されたり、内容が場所によって制限されたり、伝えたい相手、その人数や属性なども制限されます。
そこで、デザインの出番です。
例を挙げると、直接コミュニケーションで伝えたかった情報を、文字で記録して並べた「手紙」もデザインのひとつだと思います。時間の制限、場所の制限、人数の制限、属性の制限を越えることができます。もちろん、直接コミュニケーションと比べて足りないものもあります。それは「手紙」では「伝わったことが確認できないこと」です。伝えたことが情報ではなく、伝わったことが情報なので。
あつまるでは直接コミュニケーションを大事にしています。その手段を順番に並べるとこんな感じです。
まずは直接コミュニケーション。
直接コミュニケーションが難しいときはテレビ会議で相手の顔を見ながら。
テレビ会議が難しいときは画面を共有しながら電話でやりとり。
電話が難しいときはチャットでやりとり。
チャットが難しいときはメールやメッセージ。
チャットやメールを使ったコミュニケーションは手軽で簡単なので、私もついつい使ってしまいますが「ちょっと使いすぎじゃない?」と思っているぐらいがちょうどいいのかもしれませんね。今日は書きながら、ちょっと反省です。