愛。(11/366)
稲盛和夫氏は「愛」については次のように説かれています。
「愛」とは他人の喜びを自分の喜びとする心
他人の喜びを自分の喜びする、他人の喜びが自分の喜びになる、スイッチするのはどういうタイミングなんでしょう。
私の過去を振り返ると、基本的に他人のことに興味、関心がなく、自分のデザイナーとしての腕をただひたすら磨くことに専念してきましたが、管理職になったタイミング、つまり、部下やメンバーを持ったタイミングじゃないかと思うわけです。
ある日、ランチの帰り道に、デザイナーのメンバーから次のように言われました。
熊本さんが偉くなって、もっと良くしてくれるよ。
これまでデザイナーとしての私がつくるものに対して期待されたことはあっても、私自身に対して何かを期待されたことはなかったのでビックリしました。同時に、こいつのためにもなんとかしないといけないと思いました。そこが私がスイッチした最初のタイミングです。
また、その頃の私はプレイングマネージャーとして働いていましたが、自分だけの生産性に壁のようなものを感じていた時期でもありましたので、自分のために働くことと、誰かのために働くこと考えていました。
月あたり約400万円の生産性をキープしていましたが、ここからプロフェッショナルとしてさらに高みを目指し、1000万プレイヤーとなるのか。それとも月あたり約200万円の生産性があるデザイナーを3名育て、合計1000万チームを作るのか。私は後者を選択しました。
幸い、教育することは自分の成長にもなりますし、メンバーが成長していく姿を見るのは嬉しいものです。この「嬉しい」と感じる心が愛なんだろうと思っていましたが、次の言葉に出逢い、その考え方はまだ浅いものだったと気づかされました。
愛とは他者を幸福にしようとする意志
そして、いまの時点で私がたどり着いている愛の答えは次の通りです。
愛とは他者を幸福にしようとする意志である。
幸福にするとは相手の人生をより豊かなものにすることである。
相手の人生をより豊かにするとは相手を成長させることである。
相手を成長させるためには相手の成長を一緒に喜べることが必要である。
相手の成長を一緒に喜べるようになるためには相手の未来に真剣に関わることが必要である。
ちょっと固いかもしれませんが、簡単に言うと、相手のワクワクする未来を提案することができて、それを相手が自分で考えて自分で選択して(提案を受け入れて)、その実現のために一緒に走ることができること(走らせることができること)、ですかね。
メンバーの成長した姿を見るのも幸福ですが、それ以上に、ワクワクしながら仕事をしている姿を見ることの方が、私はより大きな幸福を感じます。