二刀流。(32/366)
「デザインができて、ディレクションもできる」とか、「デザインができて、フロントエンドもできる」とかって、「二刀流」のようなものだと思っています。
「イラストも描けるようになりたい」とか、「プログラムも書けるようになりたい」とか、いま自分がやっている仕事から見える世界の面白そうな仕事に手を伸ばす。そういう知的好奇心、挑戦心は私にもあって、その結果、広く浅くかもしれませんが、いまではいろいろな仕事を任せてもらえるようになりました。
ただ、そういう「二刀流」を目指すときに大切なことは、1本目の刀が常に研ぎ澄まされていることと、1本の刀でも充分に戦える力を身につけていることだと考えています。つまり、自分の仕事の軸や芯が自分の中に明確にあること。私の場合はもちろん「デザイン」です。
「二刀流」という言葉を聞いて思い出すのは、やはり「宮本武蔵」です。宮本武蔵は「五輪書」の「地の巻」で「二刀一流」について次のように説明しています。
二刀と云出す所、武士は将卒ともにぢきに二刀を腰に付る役也。
(二刀と言い出すのは、武士は大将も士卒もともに腰に二刀を帯びるのが役目だからである。)
此二つの利をしらしめんために、二刀一流と云なり。
(この二刀を持つ利点を知らせるために、二刀一流と言うのである。)
一流の道、初心のものにおゐて、太刀・刀両手に持て、道を仕習ふ事、実の所也。一命を捨(すつ)る時は、道具を残さず役にたてたきもの也。道具を役にたてず腰に納めて死する事、本意に有べからず。
(わが流の道では、初心の者は、両手に太刀と短刀を持って稽古することが正しいやり方である。命を捨てる時には、使える武具を残さず役に立てたいものである。せっかくの武具を役に立てずに腰に着けたまま死ぬのは不本意である。)
(引用元)http://textview.jp/post/culture/25123
つまり、「二刀流」において2本目の刀を使う目的は、使える武器を全て使って「勝つこと」にあります。太刀と太刀の鍔競り合い、力と力が均衡したとき、その勝負を決める2本目の刀を抜くことができるか。そのためには、1本目の刀で負けていては話にならないのです。
まずは、いま自分が持っている刀を丁寧に磨き続けながら、最初は両手でしか使えなかった太刀を、片手で使えるようになるぐらい自分を鍛えることです。
宮本武蔵の「二刀流」どころか、武蔵坊弁慶の「七つ道具」を持つことを目指す私はかなり欲張りな人間なのかもしれません。