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311を前に

以前の記事でアメブロの記事をほとんど消してしまったことを書きました。ところが、2010-2012年迄の投稿がfc2ブログに残っていたことを思い出しました。そういえばアメブロ記事を引っ越しできますよという機能を見つけて試験的に引っ越ししていたんですね。そこには311の災害の時のブログが残っていました。

10年目を前に岩手県の内陸で、当時何をして何を感じて過ごしていたのか。何が起こるのか予測が難しい現在においても準備をしておくことはできます。災害時に書いたブログを転記してみようと思います。過去を振り返る記事なので、興味のある方のみお読みくださいね。

2011/3/9余震

こんにちは
今日の昼三陸沖で横揺れの大きな地震がありました
結構ながい間揺れていました
 
みなさんは大丈夫でしたか?
地震のときみなさんは何ができましたか!?
私はドアを開けることくらいしかできませんでした。。

突然の災害
地球がくしゃみをしたのでしょうか

とっさの行動
判断
心構えを
どこか片隅にでも持っている必要があるのかなと感じました


2011/3/11

凄い地震がきました。
皆さんからあたたかいメッセージ元気がでました。
ありがとうございます。
家族とも連絡とれました
体力つけなきゃと災害用のご飯を食べています。
皆さんご無事でいてくださいね

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2011/3/12

皆さんの温かいコメント、メッセージ涙ぐんでしまいました。
ありがとうございます
まだまだ状況がわからないところも多く知り合いと連絡がとれません゚。(p>∧余震が何度もありますが被災地の方々、希望を持って頑張ってほしいと思います。
パソコンが使えないので感謝の気持ちをこちらから伝えさせてくださいね。

2011/3/13

ライフラインが復旧しました。
テレビが壊れてゲーム用のテレビで沿岸部の状況をはじめて見ました。

町がない…
こんなひどいことになっていたなんて…
言葉を失いました…

陸前高田市の知り合いと連絡がやっととれました。
その日は仕事先に子供がインフルエンザにかかったみたいだと学校から電話があり家に帰って来たそうです。
直後地震が、
あっという間に波が押し寄せ家は全壊し命かながら逃げたようです。
ヘリコプターで運ばれた盛岡の病院から涙ながらの話でした。
原発関連の気になるメールも入ってきていますが気を付けるに越したことはありませんので情報を入れるよう心がけています。
なるべく落ち着いてキラキラした光をかけたいと思います。

災害がなかった地域の方々へ
悲惨さや不安な気持ちに焦点を合わせず被災地と日本全体にキラキラした想いと希望をかけてあげるようお願い致します

2011/3/17

おひさしぶりです。。
あれから被災者を受け入れているところに援助していました。

(家に避難してきた知人は)「街が流され夢を見ているようだった。」

内陸でも物流がとだえみんなのお米が足りないのです。
そしてガソリンも少なくなっています・・

そうしたら、話を聞いた農家のかたより声をかけていただき
お米と野菜を分けてもらいました。お菓子も。。

帰りに月を見上げるといつもと同じように輝いていました。
あまりにもきれいで、なんか涙が出てきました。

その後立ち寄ったコンビニは商品がほとんどなくなっていました。
本とポテチを買いました。
後から何人もお客さんがくるのですが
皆慌てることなく淡々とその状況を受け入れ何かを買っていました。

日本人てすごいです。
ますます大好きになりました。
必ず立ち直れると確信しました。

避難している方たちの生活は想像を絶するほど大変だと思います。
お腹も心も温かさも早く癒されますように・・

同じ日本にいて助けを求めている方たちへは
想いだけではなく行動も必要です。
そこで支援されている方々には本当に頭がさがります。

被災者にとってまだ始まったばかりの戦い
負けられません。
一人でも多くの笑顔を取り戻すために。

それから国のみんなために頑張って仕事をしていらっしゃるかたへ・・
日本だけではなく世界中が応援しております。
応援と感謝の言葉を贈らせてください。
必ずご無事で帰って来てください。

2011.3.19

仙台より連絡がありました。
仙台の街の様子はこんな感じだそうです。
みんな頑張りましょう。

『昨日,区役所に用事があり,バスで行って
そのまま仙台の街を歩いて見てきました。

役所や銀行はがんばってやってました
三越あたりからアーケードをずっと歩きましたが
明らかなビル損壊というのはないようですが見事にどの店も休業。

毛糸屋さん金物屋さんかばん屋さんが少しあいてて,
マツキヨとドトールには行列。

お弁当売りが街頭にいっぱい。
通りを歩く人だけはいつも以上にいました。

バスはいつもと同じ,それ以上の本数で運行してます。
ヤマダ電機はテレビ買い替えのひとで混雑してました。
電池棚は空でしたけど。

ガスが一ヶ月以上は復旧しないのと,水がでないところもまだ多いから
街中でさえも 市街地よりは早いといっても日常に戻るには時間がかかりそう。

できるところからやっていくしかないかな。』

2011/3/20

スーパーへ買い物に行った時
偶然、友人のお母さんに会いました。
友人は夫婦で自衛隊員でふたりとも仕事に行き子供達はおばあちゃんが面倒をみていました。

「こんなときは真っ先に仕事に行かなくては
いけないから・・」
友人のお母さんは話されました。

津波を逃れ避難している被災者は助けが来たとき
どんなに心強かったでしょう。
今尚、命懸けで働いている方々に感謝です。

柔らかな日差しが差し込む何気ない毎日が幸せであること。

笑顔で話せる家族や友人との時間がいかに大切な時間であるかということ。

愛と感謝の気持ちで生きていくこと。

この大きな犠牲と引き換えに忘れてはいけないと思います。
ひとりひとりが優しく強い気持ちを
持ってこれからの日本を見守っていきましょう。

2011/3/21

ガソリン不足で朝六時から並んだスタンドは、なんと休業(^o^;
別のところに移り三時間半待ってます。
あと一時間位でなんとかなりそう
待っている間も災害援助の車がたくさん通ってます

2011/3/27

こんにちはペタ、コメント、メッセージありがとうございます
元気にお過ごしですか?

私も日常生活は戻ってきています。
避難所にも食料やガソリンが徐々に入り学校の説明会なども行われているようです。

頑張っている皆さんに軽々しく「頑張って」と言えません。
まだまだ大変な方がたくさんいます・・
輝く日本へ復興していく様子を思い描きながら
しばらくブログをお休みいたします

桜が咲く季節には皆様のこころが癒されておりますように

ここまで読んでくださってありがとうございます。

当時小学生だった知人の息子さんは、何もできなかった自分を悔やみ現在は救急救命士を目指して勉強をしていると聞きました。笑顔の裏には皆それぞれの想いがあります。

自分にできることは一体何なのか?
10年目を前に、今一度振り返ってみようと思います。


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