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会安の思い出

「成美、今日のホテル良かったわね。日帰り女子会プランなんて最高。本当にバリ島をイメージしていたな。しかし見事に再現したものだ」
「そうね。またいきましょ」と笑顔で頷く成美は、同級生で親友の彩香とふたりだけの女子会を楽しんだ。
 そしてホテルの日帰りプランを満喫した帰り道。
「でも彩香、あそこは向こうのホテルとか、ずいぶん研究したんでしょうね。今のご時世、現地に行きたくても行けなくなったし」
「そうね、本当はバリ島にまた行きたいんだけどね。ウブドゥとか最高よ」と彩香は懐かしそうにつぶやく。

 このとき成美も、海外のある街を頭の中から思い浮かべた。彼女の一番好きな街「ホイアン(会安)」を。

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 2018年1月、成美はひとりベトナム中部にある世界遺産の町ホイアンに来ていた。実は前の年のクリスマス前に受けたダメージを癒すためである。
「本当にごめん。でも俺は、麻衣のはじめたベンチャーを、どうしても助けたいんだ。許してくれ」と頭を下げる男を見て、成美は涙をこらえながら何も言わずにその場を立ち去った。

 遊びだったのかもしれない。達也との突然の別れ。12月の初め彼とは4回目のクリスマスを迎える予定だったはずなのに。
 平成元年生まれの彼女は、年齢的にも結婚を意識した相手である。その矢先に起こった悲劇。
「まさか遊ばれたなんて、私って男を見る目がないのね」こんなつらくて苦しいクリスマスは、恐らく生まれて初めてだろう。セールに精を出しているサンタクロースを見ると無性に殴りたくなった。

 だが、いつまでも落ち込んではいられない。「日本にいると思い出すから、日本語の聞こえないところに行くのが気晴らしね」と海外旅行を計画する。
 それも今まで行ったことのない国に行ってみようと企てた。会社の有休を消化して向かった場所がベトナムである。この国にした理由は狂信的ともいえるアメリカ文化への憧れを持つ達也への意趣返し。
 あのアメリカを唯一破った国としてベトナムの名前を聞いたとき「よし、この国に決定」と即断した。

 しかし行ったことがなく、勢いで決めた国なので、何があるのか全く知らない。とりあえずパンフレットの見た目から、南のホーチミンシティに行く4日間のフリープランを選択。成美は、アメリカをはじめヨーロッパやオーストラリアの渡航経験がある。それに英語も会話レベルなら対応可能。だから知らない国でも大丈夫と確信した。
「さて、何があるのかしら」とホーチミンの主変の観光案内をチェック。「メコンデルタ、カオダイ教、クチトンネル、うーんどれもしっくりこないわね」と成美は、ガイドブック片手にソファーで計画を立てるがピンと来ない。
 静かにため息をつくと「あ、あら」このとき、持っていたガイドブックを誤って滑らせてソファーの下に落とす。それを拾い上げるとあるページが開いている。せっかくだからと成美はそこに書いている内容を見たとき、何か頭の中に電気のようなものが走った気がした。

「ホイアン... ... この街並みも含めて気になる」そして成美はホイアンを調べてみた。見れば見るほど気になる街。行ったみたいと直感した。だがひとつだけ問題がある。場所がホーチミンのある南部から離れた中部にあった。
「あちゃー」と成美は頭を抱える。ところがさらに調べると、ホイアンから空港のあるダナンまで1時間程度。ダナンからホーチミンまでは飛行機で1時間程度とある。
「途中の1泊、ホイアンで泊まろう」と4日間の日程のうち、2日目と3日目にショートトリップを決断した。
 さらにうれしい情報が入る。親友の彩香がベトナムのホイアン近くに在住している知人がいると紹介してくれた。

 それが今、目の前で成美のためにホイアン観光の案内を買って出た、野島健太郎である。

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「あの島の向こうは、元々本当に何もなかった。でも後から観光向けに建物が作られたんだ。だけど今あるこのあたりは昔からの街並みだけどね」

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 年は40を過ぎている健太郎は 成美にとって魅力がたっぷりの男性。空港からここまで優しくエスコートしてくれる。彼は空港のあるダナンに住んでいる現地にある日本企業の駐在員。
 成美はベトナム2日目の午後に国内線に乗り、ホーチミンからダナンに来た。そして空港で待ってくれた健太郎の車に乗りそのままホイアンへ。旧市街近くにある、ホテルをチェックインするころにはちょうど夜が更け、名物のランタンが街を灯り出す。

「本当に鮮やかなランタン。形も独特だし。ホイアンいい街だわ。私ツアーとは別に、国内線の往復チケット買ってまできて、本当に良かった」
 成美は健太郎に向かって語りながら、全身からあふれるばかりの笑顔が出ている気がしている。
 先月味わったあの辛い瞬間も、このときをもって完全に吹っ飛んだ気がしてならない。旧市街をゆったりと灯すランタン。
 カラフルに塗られた壁が特徴なのがベトナムの町であった。しかし特に屋根の部分を見ると高温多湿の熱帯地方のためか、建物が日本よりも浸食がはげしいように見える。また朽ちているようにも見えなくはない。さらにカビと思われる、黒っぽい汚れが所々にが付着していた。
 明るいうちは気になったそんな汚れも、暗くなりそこに灯すランタンがあれば目立たない。いやむしろこの明るさでその色合いを見ると、不思議と良い味わいに見えてしまう。

「では今から、おすすめのフレンチレストランに案内しましょう」「え、ベトナムでフレンチですか?」成美は一瞬耳を疑った。

「そう。今のベトナムの文化はフランス統治の歴史があるので、フランスパンのサンドイッチとか、フランスの影響を強く残しているのはご存じですよね。でも今から行く店は、よりフレンチをイメージした店で、僕のお気に入りなんです」

「は、はあ。わかりました」パリにも行ったことがある成美にとって、ベトナムでフレンチを食べるという発想がない。だがこれ以上何も言わなかったのは、ここにきて急に気になりだした存在である、健太郎が気に入っている店と聞いたから。

 車に乗り込み、10分もかからないうちに店に到着した。そこには若いベトナム人の男女が先に座って待っている。
「お、リエン、お待ちどうさま。あ、フックもちゃんと来てくれたね」健太郎の声に連動するようにふたりは立ち上がり、成美に笑顔を振り向ける。

「成美さん、紹介します。リエンは私の妻、そしてフックは義弟です」
「奥さんがいたんだ!」成美はショックであることを隠そうと、必死に笑顔を出してその場を取り繕った。そして英語であいさつを交わす。

「さあ、座って食べましょう。話はその後で」と健太郎の合図で、4人は席に座る。すでに料理はリエンがあらかじめ注文していた。だから5分も立たずに健太郎のお気に入りの料理が運ばれる。

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「しかし初めてのベトナムでよくホイアンに」食事が一息つき、口に含んだ料理をワインで洗い流した健太郎が質問する。
「あ、そうですね。ホーチミンのホテルを1泊分。つぶしたのですが、なぜか『ホイアン』という町の名前を聞いたときに、私の中ですごく心が揺さぶられたというかそういうものがありました。
 そして『絶対に行きたい』と思ったのです。だから友達の彩花の知り合いに、健太郎さんがいて本当に助かりました」

 ここで嬉しそうに語りかけるのはリエン。
「ワタシたち兄弟はダナン近く、ホイアン寄りの村で生まれ育ちました。だからナルミさんが、そういってくれてウレシイです」
 健太郎の妻だけに、訛りのある片言とはいえ、リエンは日本語が普通に話せる。それはフックも同様であった。だからこのディナータイムは、日本語でやり取りする。

 こうして楽しい宴は終わった。健太郎に妻がいることでショックだった成美は、会話をしているうちにリエン・フック兄弟と打ち解け合い、そのようなことは完全に忘れている。
「僕は、明日仕事なので成美さんの案内が出来ないんだ。代わりにフックに案内させることにしました。彼も今晩ホイアンの安宿に泊まるから、朝ホテルに迎えに行かせます。どうぞホイアンを楽しんでくださいね」

「よろしく、お、お願いしマース」フックの日本語は、ぎこちないが会話としては十分成立するレベル。
「ありがとう、こちらこそ」成美も笑顔で応じた。

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 ワインを飲んだ健太郎に代わり、リエンの運転でレストランからホテルまで送ってもらった成美。翌朝予定時刻になるとフロントで、青いTシャツ姿のフックが待ってくれていた。

「ナルミさん。オハヨウございます!」「フックさんお早うございます。朝から元気ですね。今日はよろしくお願いします」
 とあいさつをしながらふたりはホテルを後にする。1泊だけなのでチェックアウトは済ませていた。荷物をホテルで預かってもらう。予定では昼過ぎまでホイアンにいて、午後にダナンに移動。そして夜にはホーチミンに戻る。空港までフックが案内してくれるので、成美は気が楽だ。

「フックさん、ホイアンはまだ少ないけど。ホーチミンバイクが多くてなかなか道に渡れなかったわ」「ああ、そうですね。ホーチミンシティには学生のときに行ったことがあります。あそこは人もオオクテ、ボクモ苦手。
 だからホイアンとダナンがスキです」と言って白い歯を見せる。成美はそんなフックの、あどけない表情を見ているだけで癒される気がした。

 ホイアンの観光名所は場所を絞れば十分徒歩で回れる。「これは見ました」「はい、少しだけえっと日本橋?」成美の答えに、笑顔で「そうです」と答えるフック。本当に小さな川にかかっている小橋であるが、装飾が施されている屋根がついていて迫力があった。

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「こんなはるか南に、日本の名前が付いたものがあるなんて。日本橋って東京にもあるけどあまりにも別物だわ」と感心しながら、成美はポケットからスマホを取りだした。

「昔、日本人がこの町に住んデイマシタ。この橋は、ニホンジン町と中国ジンの町を分けていました」フックはガイドではないが、しっかりと観光案内をしてくれる。成美はその都度頷いて話を聞く。

 この橋の内部を含め、ホイアンの旧市街にあるいくつかの施設に入るにはチケットがいる。もちろん成美はそのチケットを持っていた。そしてフックは持っていなかったが、成美が彼の分のチケット代を出す。だから中でも案内してもらうことができた。

 このあと、馮興家(フーンフンの家)、廣肇會館、陳祠堂(チャン家の祠堂)、均勝號 (クアンタンの家)、海のシルクロード博物館、進記家(タンキーの家)、潮州会館(ちょうしゅうかいかん)、福建會館(ふっけんかいかん)といった、旧市街にある古い建物や博物館を順番に回っていく。

 成美は初めて見るものばかり。ホーチミンとは違う、古いベトナムの建物を我を忘れて見学する。この日は天気が良く、気温はみるみる上昇しているが、その暑さすら気にならないほどの楽しい時間。途中からは何枚もフックの写真、中にはほかの人に頼んで、ツーショットを取ってもらう。だからあっという間にお昼になってしまった。

「ナルミさん、お昼にしましょう。近くにこの町名物のカオラウの店があります」とフック。成美は疑問を持つことなく笑顔でついていく。
 途中フックは「チカミチデス」と言って狭い路地を通る。観光地化されていないホイアンの黄色くて少しカビらしき汚れがある壁に挟まれた細い路地を歩くと、まるで迷路の中に紛れ込まれた気がした。

 そしてカオラウの店に入る。そこは屋台のような開放的な食堂。注文すると、すぐにカウラウがふたつ運ばれた。成美はスマホを構える。そして口に含んでいく。
「フォーとは全然違う、歯ごたえのある茶色い麺。タレの甘辛い味も私好みだし、本当においしわ。これ。上に肉も野菜も乗っていて栄養のバランスもバッチリね」と成美は、このカオラウの麺料理のことを相当気に入ったようだ。

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 そして食べる表情は万国共通のようで、それはフックにも十分伝わり嬉しそうである。

 こうしてフックとの半日デートは終了した。

 ホテルに預けていた荷物を引き取る。今頃になって顔から汗がしたたり落ちているのがわかった。「ヒヤッ、むぎわら帽かぶってなかったら、どれだけ大変か」と成美は頭の中でつぶやきながらハンカチで汗を拭く。

「もっといたいけど、今晩の飛行機でホーチミンに戻らないといけないわ」と、ダナン行きのバスに乗り込んでから成美はつぶやいた。
「ソレハ残念です。ベトナム中部にはホイアンのホカにも、ミーソンという遺跡やフエの町もあってホント素敵ですよ」とフックも寂しそうな表情をする。
「うん、でもフックさん今日はありがとう」。リエンさんや健太郎さんにもよろしくお伝えください」

 ダナンの大聖堂近くでバスに降りたふたりは、ここでタクシーを拾い、ダナンの空港に到着した。

「フックさん、今日は楽しかったありがとう」「ドウイタシマシテ。ナルミさん、また来てください。またボクがアンナイシマス」
「うん、また必ず来ます」と言って、成美は手を差し出す。フックは恥ずかしそうに手を出して握手した。

「あ、あのう」とフックが何かを言いたそうにしている。「どうしたの?」「もし僕のこと嫌じゃなければ、レ、連絡」「あ、いいわ。LINE、ツイッター?それともフェイスブックかしら」といって、お互いの連絡先を交換した。

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「結局あれからあの町には行けなかった。あとで知ったけど、彼は私とタメだったのね。本当は今年の夏ごろにと、昨年の年末からフックに会いに行こうと計画していたんだけど... ...」と小さくつぶやく成美。
「最後にフックから連絡が来たのは7月。私も忙しくて忘れていたわ。最後は些細なことで揉めてしまって、あれからそのままだし。でも彼の姉さんとかみんな元気かしら」暦の上では冬を迎えつつある晩秋だが、この日は天気も良く透き通るような青空。
「多分みんな私と同じあの青空を多分見ているのね」

「成美!」「あ、ごめん」成美は突然聞こえた彩花の声で我に戻った。
「急に空を向いて静かに固まっているから、どうしたのかと思った」と彩花に突っ込まれる。「あ、何でもない」と言って、着用しているマスクの下で舌を出す成美であった。




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シリーズ 日々掌編短編小説 296

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