見出し画像

ベトナムの歴史④ ゴ・ディン・ジェム南ベトナム大統領

ベトナムの歴史シリーズですが、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)とその前の第一次インドシナ戦争の間の部分を理解しやすくするために一人の人物を見てみます。
その人物の名は「ゴ・ディン・ジェム」ベトナム共和国(南ベトナム大統領)です。

1、はじめに

ベトナム戦争は、アメリカが介入して泥沼化した戦争という
その戦争に至る状態やその前の「インドシナ戦争」のところになると少しややこしくなります。
ベトナムな南北に分断され、北半分はホーチミンにより団結しているようも見えるのですが、南ベトナムの方はやや混乱の歴史が繰り返されています。
その中心的な人物が、このジェム大統領のようで、この人の生涯を見ると、
大統領としての資質に問題があったようなところがあるような気がします。
それが、この国がさらに泥沼化したようにも見えます。

2、南ベトナム大統領になるまで

     (画像はベトナム最後の皇帝バオダイ)

ゴ・ディン・ジェムは、1901年に当時のフエ王朝(阮朝)の貴族出身で、当時はフランス統治下。
1933年にベトナム最後の皇帝「バオダイ」の内相に就任します。
1945年の日本軍による仏印処理が行われ、日本軍がベトナムの実権を握った時には、一旦フランスに亡命します。
1954年に第一次インドシナ戦争を終結されるために行われたジュネーブ協定の締結直前にベトナムに戻ります。この協定によって、ベトナムが南北に分割された南側(ベトナム国)の首相となります。
当時の元首は、バオダイでしたが、翌年には選挙でバオダイを退任させ、変わってジェムがアメリカの後押しでベトナム共和国の大統領に就任します。

3、仏教徒弾圧と殺害

大統領に就任したジェムは、反共産主義だったこともあり、共産主義の拡大を懸念するアメリカのバックアップを受け、ジュネーヴ協定に基づき、1956年7月行われる予定だった南北統一総選挙を一方的に拒否をします。
こうして、北ベトナム側と対決姿勢を強めながら、国内の共産主義者の弾圧を行うなど独裁色を強めていきます。
さらに、ジェムがキリスト教カトリックの信者だったために、カトリックを優遇。反発した仏教徒に対して弾圧を行います。ついに1963年6月11日には仏教僧「ティック・クアン・ドック」がアメリカ大使館前で焼身自殺を図り、その模様が世界に流されます。
アメリカが、ジェム政権の取り巻きの一人で、実弟のヌー大統領顧問を「好ましくない」と排除を伝えるも、ジェム大統領が拒否。徐々にアメリカとの関係が悪化していきます。
そして、11月にクーデターが発生し、ジェム大統領は政権の座から引きづり降ろされただけでなく、そのまま反乱部隊により殺害されました。

4、まとめ
ということで、ゴ・ディン・ジェムの障害を簡単に見てみましたが、出自が王朝の貴族出身という所が影響しているような気がしました。
民衆とかけ離れた独裁政治やカトリックを優遇しすぎたために、仏教徒を徹底的に弾圧したこと。
弟のヌーを大統領顧問にして、彼が造った秘密警察による独裁政治。
ジュネーブ協定で約束されていた統一選挙を拒否して北ベトナム側を怒らせただけでなく、最後はアメリカにも嫌われてしまいます。
最後はクーデターにより殺されるという末路は少し哀れでしたが、この時代にはちょっとそぐわない政治家だったのでしょう。

#ベトナム #ジェム大統領


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?