インドシナ戦争

ベトナムの歴史⑦ 第一次インドシナ戦争の後半部分

ベトナムの歴史「第一次インドシナ戦争」は2回に分けていきます。このシリーズは過去にさかのぼっていきますので最初は後半部分。フランスの要請で登場したアメリカとベトミン(ベトナム独立同盟)の大攻勢により、戦後の和平交渉を有利に進めるあたりまでです。

1、はじめに

第一次インドシナ戦争の後半部分は1950年からの4年間。
中華人民共和国が成立し、ベトナム側を援助する事になった、ソ連と中国の社会主義国。
しかしこの後、朝鮮戦争も勃発したため、中ソ側は朝鮮半島の方に力が入ったので、ベトナムにはあまり協力的出来なかったようです。
逆にフランスがアメリカを頼りだします。

それでも、独立に燃えるベトナム軍は力を発揮しました。

2、アメリカの援助

最初は圧倒的な力で制圧していったフランス軍でしたが、ベトナム(ベトミン軍)の農村地帯のゲリラ戦に手を焼き、やがて中ソがベトナムのホーチミン政権を国家承認するなど、独立戦争から東西冷戦の構図になってくると、ナチスドイツからの解放間のないフランス軍は疲弊し始めます。そこでアメリカを頼ります。
1950年にアメリカがベトナム援助計画を発表し、軍事援助協定が結ばれます。
そして、アメリカの軍事顧問団が送られて地元のベトナム国(南ベトナム側)の部隊の訓練をします。

3、ベトミン大攻勢

アメリカを頼っているフランスの尻目に、中ソ両国から援助された近代兵器を手にした、ベトミン(北ベトナム)側のゲリラ戦はより活発化していました。メコンデルタやトンキン(ハノイ周辺地域)での激しい戦闘で、フランス軍の陣地を奪って行きます。やがてゲリラではなく大規模な軍事力の投入をはじめます。1951年から52年にかけてベトミン軍は首都ハノイの包囲網を固めます。しかし都市部では依然フランス軍が勢力を維持していました。53年にベトミン軍は南進を開始。中部のフエやダナン、クイニヨンを制圧していきます。やがて戦火は西隣のラオスに飛び火します。1954年の頃には農村地帯の90%をベトミン軍が制圧。フランスは逆転を目指して北西にある辺境の地「ディエンビエンフー」に要塞を建設しますが、これもベトミン軍により撃破(ディエンビエンフーの戦い)され、フランスの敗北がほぼ確定しました。

4、まとめ

以上です、兵器の能力などではフランス軍が圧倒的に見えて、ベトナム軍の強さが光ります。祖国の独立のためのエネルギーが充満しているとはいえ、大したものですね。こうして「武力」でフランスに勝利して、無事にベトナムの独立が果たせるはずだったのですが、フランスがアメリカを巻き込んでしまったために・・・・。

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#ベトナム #インドシナ戦争


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