[ゼミログ] 演劇と劇場

こんにちは。
平成レトロという演劇ユニットの主宰をしている演出家の熊谷ひろたかと言います。
4月から慶應義塾大学政策メディア研究科(以下 SFC)で修士課程に在籍しています。(ご報告出来ていない方すみません。。。)

大学院では演劇を軸に研究を進めていくつもりではいるものの、SFCでは演劇を専門とした先生は現状在籍していません。そこで、学生同士が演劇やパフォーマンスについて相互的に学べる場所を作ろうと、同じ修士生で共同発起人の松橋百葉とともに勉強会を立ち上げました。
詳しい経緯については松橋による以下の記事をご参照ください。

5月から活動を始め約1学期活動をした感想として、メンバーの研究分野や興味分野が少しずつ違うため様々な視点や知識に触れられ非常に刺激的な場になっている気がしています。今後どうなるかもまた楽しみです。

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今週のテーマ : 「劇場」について

次回は「劇場」をテーマにします。「劇場」の範囲としては、演劇専用の劇場のみならず野外劇場・公共ホール・公園などを含むものだと考えてください。
劇場については、そもそも劇場とは何かという演劇学的な問いや公共ホールの在り方、海外と日本の文化比較・劇場史など多岐に渡った議論が行えるテーマだと思います。
最近では伊丹のアイホールの問題などがホットだったり、全国小劇場ネットワークが法人化したりなどの話題があるかなと思います。

今回のテーマである「劇場」は、演劇とは切り離せないものであると言えるでしょう。歴史を辿ると、「劇場」は古代ギリシャ・ローマの演劇や競技に使われる円形劇場に始まり、ルネッサンスの時代には貴族の邸宅を改造し室内へと移っていき、近代化とともに調光設備が付き整備され、現在では観客が集中して静かに舞台を観るのが当たり前の施設となっています。
しかし、ピーター・ブルックが「なにもない空間」の冒頭で指摘するように、演劇行為が成り立つには、現代のように整備された豪華な劇場は必要ないのではないかと考えることもできます。

どこでもいい、なにもない空間――それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる――演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ。 (ピーター・ブルック)

そこで、『「劇場」の意味・役割とは何か』を考えるきっかけとしたいというのが、今回のテーマを設定した経緯になります。

ゼミでは、最初に劇場の歴史についてざっと共有するところから始まりました。それに関連し、高山明がギリシャ劇場を訪れた際に、「舞台は客席と街をつなぐメディアだったことに気づいた※1」と述べたこと基に、劇場の「意味」について考えたり、歌舞伎の花道を引用し、「客席」と「舞台空間」の関係について議論を行うなどをしました。
さらに、「劇場」を「公共ホール」まで広げた際に、社会的にどのような役割・義務を持ち得るかについて「アイホールの件※2」を基に議論しました。
他にも、観にくい客席の扱いについてや、劇場と集団としての「座」の関係などについて簡単な議論を行いました。

※1  WIRED「劇場から都市に飛び出し、虚構世界をつくる:高山明(Port B)が語る、ポストコロナにおける「演劇」の新しい姿」

※2 おおつる 求 ブログ「伊丹市立演劇ホール(アイホール)問題 その①」

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「劇場」については議論すべき点も多く、ゼミでは広く浅く議論点の共有程度になりましたが、これをきっかけにより深く考えていきたいと感じました。
次回は、「オンラインと劇場を跨ぐハイブリッド演劇」である、From the Farm『フレ フレ Ostrich!! Hayupang Die-Bow-Ken!』 について観劇した上で議論を行っていく回になります。

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