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54/好きだった先生の話

2023年6月12日(月)
がん告知から54日目
※2,038文字


Instagramに投稿した今日の写真。

「顔ヤバい」ですが、
載せようと思って今まで載せていなかった、
「がん告知」を受けた後に病院を出た後の写真。

とにかく酷い顔だ。
診察室では冷静にいたけど、
親が泣いているのを横目に懸命に泣くのを堪えて冷静にいた。

診察室を出て待合室で書類とかを待っている時に、
初めて泣いた。
溢れる涙っていうのを初めて知った。

親に対しての申し訳なさが大きかったけど、
いろんな感情が込み上げてきた。

その時のことを思い出すたびに涙は出るし、
2日くらいは夜はずっと泣いて、
ほとんど寝てなかったと思う。
(たぶん僕の家族も大切な人たちも)

「起きたことを悩んでも仕方がない」って、
頭では理解はしてて、
診察室で告知を受けた時にもその気持ちが強かった。

けれども、
頭と心は一致しない時もある。

むしろ、
2日で前を向けたのは、
(誰と比べるわけじゃないけど)
早かったんじゃないかなと今は思う。

そんないろんな感情が込み上げて、
告知をされた日の辛さを思い出して、
頭と心が一致しない(前を向けなくなる)のが怖くて、
載せていなかった写真が、
あの酷い顔だ。


うん。でも今は大丈夫!
乗り越えられている。


▼昨日ふと思い出した顧問の先生


好きだった顧問の先生が3,4年前に亡くなった。

膵臓がんだった。

めちゃくちゃ怖くて、
竹刀を持って廊下を歩いていて、
(竹刀が折れたら竹の定規を持って)
入部した直後から、
先輩達がしばかれているのを見て、
(今なら速攻でクビ)
もう本当に問答無用に怖い先生だった。
(日本語合ってる?)

けれど、
その印象が180度変わる出来事があった。

先生の車に部活の荷物を詰め込む時に、
先生の車のトランクを開けて荷物を詰め込んでいたら、

「初心者向けのバレーボール」
「バレーボールのルールブック」
「バレーボールの指導ブック」
を見つけた。
(あ、中高はバレーボール部でした)

そう。
先生はバレーボール経験者ではなかったから、
ルールや指導法をこっそり勉強してたんだ。
(確か野球部って先輩から聞いたような)

指導者としては当たり前なのかもしれないけど、
その当たり前を誰に知られないようにやってたのが、
僕にとってはめっちゃカッコよく見えた。

あとは誰に対しても厳しかった。
贔屓とかなく誰に対しても。
先生自身にも厳しかった。
そして硬派で曲がったことが嫌いだった。
それもカッコ良かった。

その先生がいた最後の大会で、
先輩達は県でベスト4になった。

けれども春には転勤となり、
実質、1年間だけしか指導を受けられなかった。

その後、
中高を卒業して大学に入った時に、
その先生から連絡がきた。

「休み期間だけでも練習に来て欲しい」と。

それからまた先生と再会することになり、
先生と一緒に指導をすることができた。

その時は、
昔のような厳しさはなくて、
お父さんみたいな優しさがあった。

1年くらい一緒にやって、
それからは僕も社会人になって、
指導は辞めた。
それからは数十年会わずにいた。


▼この人の生き方を生きよう


数十年振りに会ったのは訃報が届いてから。

先生は、
ガリガリに痩せていて、
それでも昔よりも優しい顔になって眠っていた。

話を聞くと、
亡くなった4月に校長になったそうだ。

校長になり、
始業式に出たのが教員生活の最後だったそう。

おそらく、
癌が進行をしていて、
膵臓がんだから気付いた時には手遅れだったのかもしれない。

始業式に出てそのあと1週間くらいで亡くなったそうだから、
死ぬことも分かっていただろうひ、
痛みもあっただろうし、
身体的には相当キツかったと思う。

それでも始業式に出て挨拶をした。
最後まで教員を全うしたかったんだと思う。
そして全うした。

先生のことだから、
病院なんて後回しで、
学校と家庭のことを優先していただろう。

そして、
「校長になる!」って決めてたんだろうな。
じゃなきゃ死ぬ1週間前に壇上に上がるって無理だと思う。

その話を聞いた時、
『やっぱりカッコいい先生だった』って、
自分のことじゃないのに誇らしくなった。

そのことを昨日ふと思い出した。

そして、
「俺も先生の生き方を生きよう!」って決めた。

知らないことでも努力をして、
曲がったことを良しとせず、
自分のことよりも相手のことが大切で、
死ぬことが分かっていても、
それでも卑屈にならず胸を張って、
自分の役割を全うしようと。

先生の生き方のカッコよさを引き継いで、
死ぬ直前まで「伝える役割を果たそう」と決めた。


最後に…

先生から昔言われたのが、
「お前の名前貰っても良いか?」って聞かれたことがあって、
その時は良く分からなかったけど、
先生の息子さんは僕と同じ名前。

火葬の時に初めて息子さんとも話をした。
「お互いお父さんの分まで強く生きようね!」って。

昨日突然思い出したのは、
先生からの励ましだったのかなぁ、
それとも悩んでた教え子への後押しだったのかなぁって嬉しくなった昨日でした。

先生、ありがとうございます!
先生の生き方で、先生の分まで生きます!

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