『小説版 星、そして雪と月と花』終章、そして序章 / 冬季公演2023『散りてなお夢見星』前日譚
彼女とは大学に入ってから知り合った。
学内唯一の音楽サークルであるロック研究会での新歓。先輩たちのノリについて行けずに、二人で居酒屋を抜け出した。それは夜の十一時頃だった。夜も更けてというにはまだ早い時間。それでも多くの店が閉まった商店街は夜の姿に変わっていた。
アルコールも入っていないのに、ふらふらとしながら商店街を二人で歩く。肩まで伸ばされた彼女の黒髪から良い匂いがしていた。顔立ちも綺麗だったせいか、会話もなく歩いているだけなのにドギマギする。
何か話した方が良いのだろうか。悩んでいると、拙いギターと素敵な歌声が聞こえてきた。
路上ライブだった。アコースティックギターを片手に、力強くマイクに向かって歌うその人の姿はとても魅力的だった。
有名なバンドのアルバムに収録されている歌。
その歌に勇気付けられた。
僕は彼女と一緒に新たな音楽サークルを立ち上げることにした。
二人でサークル名を考えたり、部室の申請を大学にしに行ったり。幸せな日々で、僕たちが付き合い始めるのは自然なことだった。
サークルはもちろん、色んな所へ旅行に行ったり、時には家でたわいも無い話をしたり。冗談混じりに結婚の約束をしたりもした。
やがて僕たちのサークルもすぐに人が増えた。その中には一生涯の友達となる男もいた。そいつはそいつで面白い。ギターも弾けなければ歌を歌うことも得意ではない。入部した理由は「ギターを作ってみたいから」だそうだ。最初に聞いた時には冗談かと思った。
最愛の人。一生涯の友人。そんな楽しい生活は長くは続かなかった。
一人でバーで飲んでいるときのことだ。テーブルに置いていたスマホがニュースアプリの緊急速報通知で震えた。
僕と彼女の写真の上に現れた通知の文字。
『【速報】謎のガスが西から侵攻。いくつかの国が滅亡か』
すぐに記事を開き、何度も読み直すが内容を信じることはできなかった。
彼女が短期留学に行っている国が滅亡していた。
きっと彼女は避難しているはずだ。そう信じて彼女に電話をかける。しかし、スマホから彼女の声が聞こえてくることはなかった。
『ただ今電話に出ることができません』
『ただ今電話に出ることができません』
『ただ今電話に出ることができません』
正体不明の毒ガスが突如として地球上に広がり始める。まさに地獄。天変地異。世界の終わり。
日本にガスが侵攻してくるのも時間の問題だった。各地域に避難所が設定されたが、間に合わなかった地域もあった。
自分もすぐに避難しなければならない。そういう状況だったが、親友が「ギターを貸してくれないか」と唐突に僕の家を訪れた。
「ギターを?」
「ああ、二つ持ってるだろ。一つ貸してくれ」
「まあ、良いけど」
僕は大学に入ってすぐに買ったギターを親友に渡した。彼女と一緒に楽器屋で選んだ思い入れのあるギターだ。
「良いのか、これ」
当然、そのことは彼も知っていたので疑問に思ったようだ。
「良いんだ」
「お前、ちゃんと避難所行くよな」
「どうだろ。今は何もかもどうでも良いんだ。避難したところで僕は絶望したままだ」
「確かにそれはそうかもな」
「慰めてくれないのか。お前らしいな」
「慰めても、傷は癒えないだろ」
彼はギターケースのベルトを肩にかけると、
「じゃあ避難所に行く気がないなら、一つ頼まれてくれないか」
「頼みだって?」
「ミンタカ区の方に、俺の知り合いの婆さんがいてな。天楽白って人。様子を見に行ってくれないか。そしてどんな感じか連絡してくれ」
「ミンタカ区だって。まあまあな距離だぞ」
「歩ける距離だろ。ガス侵攻までに間に合わなければそういう運命ってことだ」
と、彼は歯を見せて笑った。
「まだ生きてて良いのか、神様に聞いてみようぜ」
そう言い残して彼は去って行った。
親友の頼みだ。それに今は何かをしている方が、気が紛れて良いだろう。そう思ってすぐに家を出た。荷物も持たず、鍵も持たず。もう家に戻ることはないと思ったからだ。
そしてミンタカ区の避難所に着いてしまった。天楽白という人もすぐに見つかった。親友に連絡をし、それから何度かやり取りをした後、電力の民間使用が禁止された。
気づけば死ねずに生きている。更に気づけば避難所の所長になっていた。
皆が僕を頼りにしてくれていた。彼らを差し置いて死ねるほど、僕は冷たい人間ではなかったが、傷は癒えないままだった。とにかく気を紛らわそうと懸命に働いた。
そうやって十年。
電力の民間使用が再開され、移動制限も解除された。
数ヶ月前から開始された簡易郵便制度のおかげで、アルゲディ区避難所にいる親友とも連絡が取れていた。
僕は今日、地元アルゲディ区へ帰る。
人類が復興に踏み出したように、僕もまた一歩進めることを願って。
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