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2019年のコト

どうも、老害of老害いのくまです。

今年やって見たこと、今年起こったこと、とても濃い一年だったので総括というかまとめと考察的なことをしたいと思います。

1.失業した

いきなり5月のネタなんですが、カレンダーを見返しても1〜4月って本当に何もしてないんですね。
それも当然で前年の11月に適応障害による鬱状態で長らくポンコツでした。
猫曼珠のローディーに呼ばれるようになったりポツポツと変化はありましたが、それだけでした。
まぁ、そりゃ薬飲んでる鬱患者ですからね、誘う気にもならないでしょう。

4月末からはAD/HDの気があることもわかり、アルコールへの依存も過大になりました。
退社と同時にコンビニで酒を買い、心斎橋から終点までストロングゼロのロング缶を飲む日々、大阪の地下鉄の夕方から酒飲んでるやばいサラリーマンはこうして出来あがるわけですね。

そんなクソみたいな状態をしばらくしていたんですが、GW前から限界を迎え、5月末には出社困難になりました。
というか放心して体も動かないで寝てるだけ、2日目の夜無理やり家を出て診断書を貰った帰りの電車で辞めることを決めたはずです。
記憶にないけど……

上司に仕事も教えてもらえない
仕事が無いので定時で帰れば怒られる
取引先の名刺を投げつけられる
不当に怒られる
残業代は出ないし、ボーナスもめちゃくちゃ少ない

残る理由がなかったです。
トラ技に広告が出てる某トランス屋でした、在籍はジャスト一年くらい、辞めることが決まった日追い出されるようにその日で退社になりました。

私の家族は父親が全国を転々とするような仕事、母は全国ツアー中のイベンターで
「一軒家・一人暮らし・無職」
が完成しました。

その翌週、サポートとしてギターを弾いているSparganum proliferumでライブだった所まで丸々記憶が抜け落ちています。


2.祖母の家が燃えた

私には親戚が少ないです。
政治活動しているタイプの公務員だった父方の祖父母とは仲が悪く、考え方も噛み合わない事は18の頃には明白でした。
母方の祖父母、祖父とは長いこと会っておらず、祖母と叔母が数少ない仲のいい親戚でした。
幼いころから長期休暇や何かある度に帰り、安心できる場所として過ごした祖母の家、それが燃えてしまいました。
仕事辞めて1ヶ月くらいの事です。
半焼なので家財道具の多くは残っていた事は不幸中の幸い、近所の地主さんが空き家も貸してくれて田舎ネットワークに感動しました。
僕自身は燃えている報道映像を見てもドライに、客観的に、捉えていた気がします。
周りは慌ただしく、家に1人金もなくぼっち、父親も単身赴任となり6月を迎えました。
環境の変化に戸惑いつつも、不謹慎かもしれませんが精神的には元気になりつつありました。

3.ギターのストラップを作った

私のギタリストとしての視覚的アイデンティティとして痛車ならぬ痛ギターがあります。
元気になってきて半年以上ぶりに「集中力」と「時間」を得た私は何故か爆買いしていたレザーを使い、約2週間かけて「桜島麻衣」とかいたストラップを作りました。
Nikki Sixxのストラップを参考に夜な夜な手縫していましたね。
「集中できる」ことが嬉しくて嬉しくて仕方なくて毎晩毎日手縫していました。

完成品をツイートしたところPlayerの北村編集長からリツイートを頂き、バズりはしないものの沢山の人に面白がって貰いました。

4.日雇いバイトを始めた

7月色々有りましたがこの辺りで資金が底を突き、お金がなくなりました。
クレジットの返済もありましたし、飯を食う金もなくなりました。

「ショットワークス」という日雇い専門アプリを使い14〜23時で時給1300円の日雇いバイトを始めました。
雇用保険の兼ね合いもあり、週2で16時間クレジットの支払いをして少しご飯を食べる程度の余裕は生まれました。
この頃心配して奢ってくれたり連れ出してくれたみんな、ありがとうね。

前述のバイトですが、中身はクロ××ヤマトさんのベース、配送拠点の仕分けでした。
力仕事ではあるものの、必要とされる喜び、よくしてくれる同僚、自信を全て失っていた自分には良いターニングポイントになりました。
「無理すんなよ!水飲んでこい!」って休憩を作ってくれるおじさん、「アメやるよ、食っとけ」って配慮を見せてくれるおじさん、これが本来有るべき良好な関係なんだと再認識できました。

ほんとありがとうございました。
Shinくんとかちゅけちゅけとか、まーぼーさん、ありがとう。

5.少し余裕が出てくる

この辺りで雇用保険が発生して余裕が生まれました。
SxPxでライブしたり、満艦飾をやったりしましたね。

まーぼーさんちでBBQして色んな人と沢山話したり、毎日が少しずつ楽しくなりました。

この合間、色々な出会いもありました。
その一つが中国のDeath Metalバンド守夜者のギタリスト、みさきさん。
Sound Project “Siva”の小澤博氏に頼まれ、道案内をした際に出逢いました。
この頃は緊張もあったり、上手くコミュニケーションが出来たとは言えなかったものの、それ以降仲良くずっとLINEしたり冗談を言い合ったり、真面目な話をしたりしています。
可愛い友達です。

6.再就職した

夏頃からエージェントを複数試し、企業への応募を始めました。
書類を作ったり、最初は難航しました、そりゃ職歴が悪いからな……
それでもそこそこ書類は通るし、そこそこ順調だったのは世間の人手不足と電気電子工学科卒業の学歴のおかげですね。本当に奨学金は重いけど大学は出てて良かった。
1ヶ月半くらいで今の会社に就職が決まり、一安心。

この過程で一つ学んだことがあります。
残業時間や労働形態を重視しても「みなし残業」「残業代込み19万」みたいな求人が平然と……これは日本終わったわと言う気持ちになりました。
計算したら時給換算で最低賃金すれすれだからね、なーーーにが正社員だ。

7.わけのわからない大人に翻弄される

まぁ、ほぼほぼ最終章です。

昔勤めていたライブハウスのオーナーが変わったとの連絡を受けます。
それも「関係者が辞めた事、オーナーが変わった事は公表しないでくれ」
他人の褌で相撲を取る気満々、恥ずかしくないのか……

それでも資金は潤沢な方のようで、ライブハウス時代の部下から紹介され、僕に対しても熱心に音楽が好きで頑張りたいと力説されました。

そして手切金ではないですが、僕が継ぎ接ぎしてブラックボックスと化していた照明をやり直す手伝いをすることになりました。
手伝いといえば聞こえはいいですが120%僕が主導し作業したような状態です。
その間オーナーの息子の店長は只管スマホで競艇でしたね。
………いっそパチンコにでも行けよ。

結局2日かけてあやふやだったギャランティも0、挙句説明を一切聞いていなかった息子に難癖をつけられる始末。
いやいや、お前が競艇ばっかりやって話聞いてないのが悪いんだろ。

そのくせ「バンドを紹介してくれ」「繋がりが欲しい」と言う始末。
信頼できない奴に友達も先輩も後輩も任せられません。

後日ですが…
挙句出演者側に頼まれて照明で入った際は長丁場12時間のイベント開始2時間で些細なクレームで店長が拗ねて帰りましたね…挨拶もなく…というか俺にも出演者にも外注で呼んだPAにも挨拶なかったよな。
無理矢理イベントを成功させ、申し分程度の謝礼が1ヶ月後に出ましたが……
それを許すオーナーもアホかと、もう2度と関わりませんよ。

深掘りすると色々情報が出てきましたが、それはまた別の機会に。

管理者や責任者に先天性の知的障害者を置くのってどうなの?
それもクローズドで……

8.最近の事

12月は夏以来にみさきさんに会いました、めっちゃ日本語上手くなってるし、いっぱい喋れて嬉しかったですね。
千本鳥居で脚が死んだけど……

他にも首振りDollsとSound Project”Siva”をマッチングできたのも良かった事です。
同郷でお互いに存在は認知し、気になっていたそうで、いい関係を作れたと思います。

あとは仕事も順調で、前職の知識、照明エンジニア時代の知識、楽器店時代のマーケティングに関する知識、全てが活かせています。
先輩方や経営者サイドの配慮もあり、落ち着いて技術を学んで仕事ができている気がします。

音楽のことで言うと、僕が精神的に故障してアルコール依存になって迷惑をかけていたメンバーともまた仲良く会話できる関係になれました。
というか、アルコールを自制することができるようになりました、ほんと最近……

9.まとめ

酒に溺れて人生を潰しかけた僕を諦めないでくれた皆様、本当にありがとうございました。
キャパシティオーバーして忘れている約束なども多いので、思い当たる節があればいつでも連絡をください。
あと、酒抜くのマジでキツいからな……別の機会にしっかり話すけど、マジでキツかった。
2020年は落ち着いていい一年にしたいですね、きっと日本は大変な一年になりますけども………
自分のペースは理解して、やばい環境からはさっさと逃げて、俺でもなんとかなったんだから、ね。

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