自分が可愛かった頃の話をしよう

[2018年頃に発行した日記のまとめ本の再録]



自分が一番かわいかった時っていつ?って聞かれたら、ほとんどの人が子どもの頃、それも幼稚園くらいの時って答えるんじゃないか。私ですら、幼稚園くらいの、まあ保育園だったんだけど、その頃の写真はどれも大体かわいくて、手足プクプクの私が、お姉ちゃんにオムツ被せられて泣いたりしている。我がことながら愛おしすぎてたまらない。

ところで、私の通ってた保育園では、子どものロッカーに、全員違う種類のシールが貼ってあった。動物とか、乗り物とか、果物とかの絵のついたやつ。よく分からんけど、まだ数字が読めない子とかも居たから、「あなたのロッカーはここですよ」「あなたの荷物はこのうさぎちゃんのシールのついたとこにしまうんですよ」ってやるためのものだったんだと思う。シールは毎年更新されるんだけど、年長さんに上がった時の、私のロッカーのシールはカバだった。まわりの
お友達のシールはひよこ、とか、チューリップ、とか、まあ新幹線、とか、なんかそんなかわいいどころのやつ。なのに私のシールだけ、カバ。白目のところが黄色のカバが、水面から目と鼻だけ出してこっちを見てるっていう子供心を一ミクロンもくすぐらないデザイン。全っ然かわいくない。ていうか怖い。カバって漢字で「河馬』って書くんだよ。なんだそれ。
一も二もなく号泣した。先生は我慢しなさいって言った。無慈悲。保育園に居られる最後の学年なのに、シールがカバじゃテンション上がり切らないって泣きながらぼんやり思った。
カバが嫌な理由は実はもう一つあって、そのカバのシール、私があんまり好きじゃなかった男の子が去年使ってたんだよね。その子とお揃いってのも妻い嫌で、むしろそっちの方がウェイトとしては大きくて、とにかく嫌でしょうがなかったけど、流石にそれは言えなかった。

これは言っちゃダメとか、これすると大人が喜ぶとか、それなりに空気読んで。子どもだって子どもなりに色々考えてるし、自分だってそうだったことがあるはずなのに、もう全部忘れちゃった。いつのまにか、子どもは子どもって生き物で、大人とは別で、それで好きだとか嫌いだとか言うようになった。子どもは無垢でただただ純粋で、良くも悪くもなんも考えてないなんて、よく考えたら変な話だ。大人はなんでわかってくれないのとか、カバのシールが大事件だったこととか、その時の感覚を引き継いで大人になれればよかったのに。
30分くらいワンワン泣き喚いた後、私は改めてカバのシールを見てみた。黄色い白目。水面から出た鼻。こっちを見ている。かわいいとはやっぱり思えなかったけど、嫌がって泣いたりして悪かったなって気持ちになった。今の私ならそんな気持ちになるなんて絶対あり得ないし、自分のことなのに他人事みたいに愛おしくて胸がギュッとなる。
子どもと大人ってやっぱり地続きになってないのかな。こんなかわいい生き物が自分だなんて信じがたいもん。

関係ないけど、家に帰ってシールがカバだったことをお姉ちゃんに報告したら、「カバって尻尾でウンチ撒き散らすらしいよ」って言われて、またちょっとカバが嫌な気持ちがぶり返してしまった。


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