4月29日


バイトへ行く。お弁当箱におかずを詰めるバイトだ。お店へ行き、日雇いのバイトである旨を伝えると、「今日だっけ?」と言われる。何だかあまり歓迎されていない感じだ。それほど忙しくなかった上、日雇いに任せられる業務があまりなかったようで、あからさまに持て余されてしまって辛かった。

募集要項の欄に「お弁当のおかず詰め、洗い物」と書かれていたので、タッパーに唐揚げとかを並べられるのかと期待していたが、そういった仕事は回ってこなかった。花形業務なのだろう。仕方なく、キャベツや玉ねぎを切り、大きな鍋を洗った。

バイトが終わり、帽子とヘアネットでめちゃくちゃになった前髪を見ながら、「やっぱり1日3時間くらいしか働きたくないな」と思った。キャベツや玉ねぎを切るのは嫌ではなかった。転職をするならこういう単純作業がいいかもしれない。しかし、数年前にハローワークで「倉庫とか、工場の仕事を紹介してください」と頼んだところ、「ダメです」と言われたことがあるので、今回も紹介してもらえないかもしれない。

インスタを見てみた。私が蛍光ピンクのポロシャツに赤いエプロンをつけて大鍋を洗っている間、同級生は皆どこかへ出かけ、美味しいご飯を食べていたようだ。
私が残業代の出ない職場で偉い人に死ねと言われたり、前の席のおじさんに仮眠室に侵入されたり駅まで付き纏われたりしている間に、友達は良い企業への転職を成功させ、来月末には新天地へ赴くようだ。

何をやっているんだろう私は。
隣の芝は青いだけでなく、白くて大きい犬もいる。クリスマスにはちょっとしたイルミネーションが飾られ、春のよく晴れた日にはシートを広げてピクニックまで催されている。
私の庭は狭く、時々何処かから転がってきたペットボトルのゴミが落ちている以外には何もない。自分の庭よりみずぼらしい場所などこの世に存在しないのではないかと思えてくる。
全部のことを諦めたつもりでいたし、何も成し得なくていいから何も頑張りたくないと思っていた。寂しい庭でも静かに暮らせればそれで十分だと思っていた。だけど、柵越しに見える隣の芝の白くて大きい犬が、クリスマスのイルミネーションが、春の日向のピクニックが、今はただ羨ましい。

私が母親の元から脱走し、貰えなかった学費を補填するために死に物狂いで働いていた間、大学の同級生はサークル活動や留学に勤しんでいたらしい。小規模な自殺未遂を繰り返してまともに大学に通えなくなり留年した時は、晴れ着を着て卒業式に出ていたらしい。ロクに下調べもせず入社したブラック企業に蹂躙されている間に、着実にキャリアを積んでいたらしい。

今まで、自業自得の、自分で作ったマイナスをゼロに戻すためだけに生きてきた気がする。マイナスをゼロに戻した時、もうここで終わりでいいやと思ったけど、本当はここから始まりなのではないか。青い芝の白い犬を手に入れるために、ここからまた頑張らないといけないのではないか。自分の行く先に努力の余地が残されていることに目眩がした。

もういやだ。できることしかやりたくないのにできることが何もない。死にたくない。死んでもいいけど、気が向いたら生き返りたい。遠くに行きたい。誰にも見られず、誰のことも見なくていい場所に行きたい。



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