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今年も青の素。

毎年のお約束、お盆が明けた頃には川崎へ。
2016年、高校1年から毎年通っている(はず)の青の素公演。
ご存知ないあなたはぜひ検索をかけていただくとして(というかほぼエゴサしている皆様が読まれると思うので他の方は置いていきます)今年の感想をば。

8月「オリキュレールの糸」

以前観たのは何年前か。再演までの間に流行った曲やら社会現象やらが追加されていて、時間軸は同じはずなのに「時の流れ」を感じた。

高校生同士のLINEグループのやりとりってああいう感じが普通なのだろうか。表向きでは仲良くしてるのに、裏で何を言われているかわからないのはちょっと怖い。SNSの長短を垣間見たような気持ち。
…私も何か言われてないかな、という不安が一瞬脳裏をよぎった。

スタンプの表現の仕方が面白かった。実際にああいうスタンプを300円くらいで販売されればついついストアで買ってしまいそう。

燕太郎は生きているんだろうか。帰省の帰りのお迎えが「茄子の牛」だとか、飛び降りるからどうのとか。ちょっと疑問。
実は小雪の心の闇の部分が生み出した、彼女の想像上の人物だったりして。

12月「レインディアの鼻」

開場前と客入れ中のあの空気感がとても懐かしくなった。
開場前はピリピリした緊張感と妙なリラックス感が混ざったような、今ひとつ形容し難い独特の雰囲気。
客入れが始まった後、ヒソヒソとお客様にわからないようにやりとりしたり、急いでメイクをしたり、1人集中を高める人もいたり。
その場に居合わせたことのある者しかわからないあの空気感は、一度体感するとやみつきになる。私はもう体感することは滅多に無くなってしまったけれど、久しぶりにあの空気を味わった。

3年生たちのあの立ち振る舞いを見ていて、高校時代の自分を思い出した。
あまり多くは語りたくないが、悪い意味で自分を見ているようだった。
あれじゃあいけないよなぁ、と遅すぎる反省。

「脚本家は孤独」
普段の稽古は他の誰かと摺り合わせながら進めていくことができるけど、脚本家は基本的に1人で全てやる。一部打ち合わせやら調整やらで話し合いを持つことはあるかもしれないけど、本当に孤独。
誰に頼るでもないから、逃げ場がなくなりがち。辛いよな。
自分はやったことがないけど、きっと演出家も同じなのかも。
孤独って辛い。
誰か寄り添って。寄り添ってあげて。

今までのスタイルは今年で終わりということで。

来年4月から12ヶ月連続公演というアナウンスがされた。
それはそれで私としては物凄く楽しみにしているが、毎年川崎に来ることは無くなるのかと思うと、一抹の寂しさを覚える。
私の中では勝手に24時間テレビとか高校野球甲子園大会を遥かに上回る夏の風物詩なだけに、とても残念。
でも、新たな楽しみができたと思って考え直すことにします。
足掛け7年間、ありがとうございました。

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