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ノイズと美メロと【コメント欄再考】
noteの特徴として、記事に対して読んでくださった方がコメントを残せることが一つあると思います。
それについて、自分の場合はどう感じているのかをまた思いつくままに書いてみます。
わかりやすい記事であったらここで、結論めいたことを最初に書くのでしょうけども、私はいつも書いてみないとわからないタイプなので、またお時間のある方は、のんびりとお付き合いください。
1.まずnoteに何を求めているのか
私は書いてみることで自分の考えや感情を見つけたいのだと思います。たぶん。
あたまの中にあるふわふわしたものを
ことばにおきかえた時に
あらためて気づくことがたくさんあります。
それはエモーション。
こんなことが嬉しかったんだ。
こんなことに傷ついてたんだ。
ここに怒りを覚えていたんだ。
あるいは思考性。
こんなこと考えてたんだ。
私の中でこことここが繋がっていたんだ。
同じこと書いてるけど、表現が違うだけだ。
私の弱さはここかぁ。
私はこう在りたいんだなぁ。
などなど、書いてみて
はじめて輪郭がはっきりとしたり
逆に輪郭がぼやけたり
それはカメラのレンズを通しているように、ピントが合ったり合わなかったりを繰り返してます。
近くしたり遠くしたり。
シンプルなものを複雑に
複雑なものをすっきりさせたり
線を何度もひきなおして
ずっとそんな作業をしているのかな、なんて。今は思っています。
なぜこのようにしているのかは、また長くなりそうなので、今回は割愛します。
あと、読んでいておわかりかと思いますが、私のnoteは、企画記事や誰かのお礼記事などを除いては、基本的に「誰かに届けようとはしてない」のです。たぶん。
これを読んで勇気を与えたい!とか
これを読んでもらってはげましたい!とか
そういう気持ちがほぼないです。
これはほんと、すみましぇーーん!!って感じなのですが、きっとこれから先もあまり変わらないところなのかなと思っています。自分で変わった方がいいと思うならすぐ変わるかもしれないけれども。今のところ、これで不自由はないのです。
冷たいやつ、なのかもしれないなぁなんて、思ったり思わなかったり。
2.コメント欄への思い
基本的には各々の方が自由にあってほしいなと、願っています。
なんでもウェルカム!
何を書いてもいいし、どんなことを書いてくださっていても、私は嬉しいです。それがまず大前提です。
読まれた方が何かにひっかかって、あるいは何かに共鳴して、書いてくださること。綴ってくださること。
それは大変ありがたいことだと思っております。
いつもありがとう。
そして
自由=不安定
不自由=安定
だと私は思っているので、不安定性を伴いながら、コメント欄としての場が開いているのが理想です。
しかしながら、私の中であるルールが一つだけ存在していて。
私と対話をしようとしていない人には、そこにお付き合いすることができません。
過去に一度だけそういうことがありました。その時はどうしたかというとコメント欄を閉じざるをえませんでした。
対話ではなく、一方的な主張は、私は暴力であるとみなします。
そのような場合。私はそこに対して、やり返すでもなく、泣き寝入りするでもなく、同じ土俵に上がりたくないなぁと思いますので....要するに直接的に戦うことはしたくないんです。
そして、どうしてもそれでも相手をしてほしいというなら、仕事として。要するに対価=お金がないとやりません。あまり関わったことのない見知らぬ相手の変な承認欲求を満たすためだけに私を消費されるのは正直望んでいないのです。
そんなに私いい人でもありません。
でも繰り返しますが、今までたった一度だけです。
そんなことはほぼない状態でこられたのは、今までここで出会ってきた方たちのお力だと思っております。あらためましてありがたいことだなと感じております。
3.ノイズと美メロ
さて、最近私は誕生日を迎えたのですが、あるおともだちが、以前からバンド活動に取り組まれていて、生演奏、生歌を送ってきてくださいました。
音源の歌は、完璧に歌い上げるというよりも、そのノイズが大変心地よくて。外れたり、喋ったり、揺れがいいのですね。
ノイズについて考えたのです。私はノイズが嫌いではない。
ここでコメント欄の話に戻りますが、そもそもコメント欄に正解はありません。
私の記事にコメントを書いてくださるのは「自分じゃないだれか」です。
なので、純度100%で私の意見や思いと同じかというと、そんなことはありえないのです。
今はAIでなんでもできるようになってきました。
美麗な絵も描けちゃうし、会話もしてくれる。
音楽業界でも、昔に比べて、ノイズを消すことができたり、音程を合わせたり、ピッチを調節したり、様々なことができるようになっているようです。
要するに、おそらく理想的な「美メロ」を作り出すこともできます。完璧で非の打ち所がないやつ。
コントロールできる世界。
理想を作り出せる完璧な世界。
でもね。それは私はおもしろくないんです。
クリーンにしたくないの。
混沌としてたい。
不安定でもありたい。
色々なノイズを聴きたい。
そのずれが大事なんです。
そのずれが、私を私から離してくれたり、引き剥がしたり、揺れたり、どこか想像もつかないところへと連れて行ってくれます。
だからこそ。
何でも書いてほしいなと思います。
そして、私とあなたは
ジョハリの窓の
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盲点の窓というものを相手に教えてもらったり、未知の窓を2人で探したいなと思っているのです。
これは、何にも意識しなくとも、私とあなたがそもそも違うからこそ、対話が可能であるならば、自然にできることだと私は思いたいのです。
そして、それは私にとっての良い体験にもなるのですが、もしかしたら相手の方にもよい体験になりやすいのかな?なんて感じたりもします。
もちろん何にも感じなくても全然かまいません。
あともう一つ。
私は普段の記事と音楽のMVを貼り付ける記事との差別化をはかっています。
音楽の記事は基本的にはコメント欄をあけていません。
ここではそもそも、現時点ではおそらく私は対話を求めていなかったりするので、あらかじめご了承くださいませ。
今日はコメント欄について書いてみました。
ここに書いたことはある個人の....あくまでも「わたし」の考えに過ぎないので、全然違う思いで書いていらっしゃる方ももちろんいると思いますし、それはそれですごくその方のお話も聴きたかったり、お互いに尊重し合えるからこそおもしろいんじゃないかなと思いました。
本日は読んで頂きありがとうございました。
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