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そこにいつづけること

いること。

いること。

私が何もせずにただそこにいること。

なぜ「ただその場にいること」が

こんなにも難しいんだろう。


生きていると、1人になってしまう夜がある。

こんなに人間がいるのに、光の届かないところで1人っきりになることがある。

人はささいな出来事で、簡単に孤独になれる。


「普通」や「当たり前」や「常識」という風がどこからともなく吹いてくる。

ある人はレールを示す。「ここに乗ると安全な道を進むことができる。」

そこから外れてしまうと、お互いが違っていることを受け入れられなくなってしまう。

なんで、私が言ったのに。やってあげたのに。忠告してあげたのに。思ってあげたのに。

なんで、みんなと同じことができないんだろう。なんで、私は人と違うんだろう。



ただ「いること」が難しくなる。


だから人は「する」ことで、何とかそのレールに戻ろうとする。

みんなと同じレールに乗って安心したい。

みんなと同じ道を歩めば、何か言われることもない。

仲間はずれにされることもない。

努力して、真似して、なぞらえる。

できるようになった私は今度は「する」努力を続けることで、なんとかいつづけようとする。

けれども、どこかで力尽きる。

歪みが出る。

私を見失う。

私は誰なんだろう。


私はなにで嬉しかったんだっけ。

私はなにで喜びを感じてた?

人に求めると喜びもあり、傷つきもある。

傷つくから傷ついた心にふたをする。

ふたをすると、心が迷子になる。

迷子になって透明になっていく。

私が私から離れる。


迷子になる人はやさしいのだと思う。


けれども本当にやさしくする対象は、まず自分かもしれない。

そういう時は私を私に近づける必要がある。


心の中の波を感じること。

遠くの海でうねるような流れは

今はまだここには届いていないけど

まだ感じ取れない、小さな小さな躍動。

息吹のようなもの。

少しずつでいいと思う。

きっとつかまえられるから。

きっとあなたは見つけられる。

そういう時はことばを吐き出してみたり

あるいはことばなんていらなくて

ぼーっと無になってもいい。

小さな小さなうごめくものたちは

必ずサインを出している。

そうして私を私たらしめるものが

きっとゆっくりと近づいてきて


相手のための「する」をしなくても

自分が自分でいるための「する」に変わる時に

また私はそこにいつづけることができるのだと思う。


だからあなたがそこにいつづけることを

風がふいても足元がおぼつかなくなっても

そこにただ、いて、立っていることを

私は応援したい。


私とあなたがたとえ離れていても


同じ空の下で立っている。


そう約束したいと今は願っているから。

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