ナイチンゲールと命の選択
※この記事は目的を遂げたら下書きに戻します。
※と、思っていたのですが、目的を遂げた今、もう少し残しておこうかなと思っています。考え中。
私はある方のご質問に答えなければいけないと思い、今、このように記しております。
「仕事と言えども、全ての人間に対して(どんなに人間的にひどい方でも)そこまで一生懸命になる必要性があるのか。」
なんだか、ニュアンスが違っているかもしれませんが、そのような雰囲気の内容であったと受け取っております。
これに答えるのは簡単です。
すぐ答えられます。
しかし、コメント欄の一角をおかりするのは非常に心苦しいので、このようなAnswer記事になりました。
なので、あまり関係のない方は面白いか否かというと、面白くはないかもしれないので、どうぞご遠慮なくこのページを閉じて下さい。
※この記事は新・寝た子を起こし太郎さんへの完全なる個人的な返信記事です。
1.ナイチンゲールの言う事は守ってる
まず、ある有名なことばをご紹介します。
「犠牲なき献身こそ真の奉仕」
これはナイチンゲールさんのことばです。以下ナイチンゲールさんのご紹介。
フローレンス・ナイチンゲールは、イギリスの看護婦、社会起業家、統計学者、看護教育学者。近代看護教育の母。「光掲げる貴婦人」、「クリミアの天使」と称されており、病院建築でも非凡な才能を発揮した。クリミア戦争での敵・味方の分け隔てない負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名。(Wikipediaより)
彼女が言っているとおり、自己犠牲の上に成りたつ奉仕は誰も幸せにはできません。
なので、まず私を大切にしてほしいというメッセージを頂いたのですが
たぶん、私はそれなりにいろいろな方法や人を使って、幸せが保たれていると自分では思っています。
このようなメッセージを頂ける位に「自己犠牲の人」だというイメージを持たれることは、決して悪いことではないと思いますが、全ては自分のためにやっているので、クライエントの方がどのような方でも、投げ出す事はありません。自身が不甲斐なく十分な支援や伴走ができない時には、ぎりぎりとハンカチを噛んで泣いている事もあります。夫に「(仕事に)いきたくない」とだだをこねる時も年に1回くらいはあります。
ただしですよ。
私は前回の記事で、私が全力で支援する人の対象者は「患者様、利用者様、愛する人」と記しました。ここに入っていない人は
同業者。
私はクライエントにやさしくない、自分の仕事を頑張らない(と私が勝手に思っている)同業者が嫌なのです。
なので、お察しの通り、怒りでいろいろな人を傷つけてしまいました。
これは自身の反省すべきところであり、また「そうはいっても許せない」という気持ちもない訳ではないため、非常にやっかいな感情を持て余しております。自分で言うのも変ですがほぼ病気です。
こういったところでメンターとして、何かアドバイスを頂けることが今後の機会で可能であれば、ぜひともご協力頂きたいと思っております。
(でも、職場が変わってからはだいぶストレスがなくなったんですよ。)
2.何と言ってもお金の問題
みなさんご存じであると思うですが
私たちのお仕事は「国民の税金」を使用して運営されています。
医療保険も介護保険も全ての出どころの何割かは血税です。みなさんが日々納めているお金を使わせてもらっているのです。
そのお金を使っていて、適当な仕事なんてできません。
それこそ、どこぞの政治家たちと同じ穴の貉になってしまいます。
私はそのような人たちと一緒にされたくないので、与えられた役割をただ毎日こなしているだけです。
3.作業療法士協会の定義に基づいている
私の職業である作業療法士。
その作業療法士の国家資格者で構成されている協会団体があります。以下はその協会が打ち出している作業療法の定義です。
作業療法は、人々の健康と幸福を促進するために、医療、保健、福祉、教育、職業などの領域で行われる、作業に焦点を当てた治療、指導、援助である。作業とは、対象となる人々にとって目的や価値を持つ生活行為を指す。
私たち夫婦は「定義」や「理念」は大事にしていきたいと考えています。
この定義に乗っ取って、全国民の皆様の健康と幸福について、日夜頭を悩ませているのです。
4.もっとすごい人がいっぱいいる!
たまたま私が仕事上で感じたもやもやとした、何とも歯切れの悪い出来事たちを、自分の欲望のままに書きたいがゆえにnoteに書いておりますが、このように単純に「見えている部分」は目につきやすいのです。
もっともっと、シビアな場面はおそらくいっぱいあるのです。臨床現場でぎりぎりで戦っている人たちも大勢います。高い理念を持つ気高い人たちが、大きな存在とせめぎ合っています。私は尊敬する人たちがこの業界にたくさんいるのです。
そこと比べると、まだまだふんばりが足りないなぁというのが私の現状です。
5.相手は私
今ここにいる相手はたまたまこのような事になっているだけで、いつ自分が相手のような立場になるかなんて誰にもわからない訳です。
私であったかもしれない人に対して、私は目の前にいる人がどんなに嫌な人であっても例え犯罪者であったとしても、他の人と違った対応をすることはできないのです。
6.ノアの箱舟、命の選択について
ノアの箱舟にはおそらく私は乗らないと思います。
ここではノアの箱舟の話題からは離れてしまいますが、私が妄想しているあるお話を聞いて頂きたいのです。
私は時折、2011年以降位から、とある場面のシミュレーションをしています。
しかし、その場面にはどう考えても、どう思考をめぐらせても、はっきりとした答えが出せません。
その場面は「もし大津波が襲ってきて、施設職員である自分が入居者である寝たきりのお年寄りと2人だけで取り残された時に、1人だけ助かるスペースがあったとして、誰を助けるか」という場面です。
私は今の時点では「私」を助ける方の選択肢を取ります。
その理由としては、私の方が他の人を助けられる可能性が高いこと、もし寝たきりのお年寄りを助けても生き延びる可能性が低いこと、我が子の事を考えると自分が生き延びたいなどが挙げられます。
こう考えると命って平等に取り扱えないですよね。
救命救急で働いている方は、トリアージをされる場面があると思いますが、ブラックジャックなんかを読んでいても、命の選択について深く考えさせられる内容も多く、医療現場では答えのでないことの方が多いです。
7.結論
そんなに私かっこいい人間じゃないです。
できないことが多いから悩んでいるのです。
褒められて照れるというよりは、自身がふさわしくないから足元がふわふわしてぎこちないんです。
バクゼンさんなどには言いましたが、尊敬している方は高田純次さんです。
ようするに適当人間です。
でも、何だろう。おっしゃっている通り美しいものが好きなんです。
美しい世界が見たいから、頑張っています。
そんな世界が見えるnoteが楽しいです。
太郎さんの書かれるものに、私は様々な決意と美しさを感じます。
これからもこんなやつですが、よろしくお願い致します。
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