書けない誌面に描いた夢<前編>
『業種や職種に関係なく生涯にわたって身を助けてくれる武器。それが文章力なのだ』
古賀史健さんの著書【20才の自分に受けさせたい文章講義】からの一文。
この言葉に感銘を受けた僕は、ひょんなキッカケで知り合ったフリージャーナリスト・肥沼和之さんのライター講座を受けてみた。
講義の一環として、肥沼さんのインタビュー記事を作成したので、養豚家が書いた記事に、ご興味を惹かれた方はご一読いただきたい。
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『フリージャーナリスト』兼『バーのマスター』。
この異色な組み合わせの肩書をもつ人物がいる。
肥沼和之さんだ。
フリージャーナリストとして、取材で各地を飛び回ったかと思えば、夜はペンをシェーカーに持ち替える。
バーの経営とジャーナリスト、飲食業と出版業、まったく関係がないと思われるふたつへ精力的に取り組む理由はなんなのだろうか。
二足の草鞋を履く彼に、今回インタビューをさせていただいた。
【コミュ障の誓い】
肥沼和之さんは、東京都出身の現在38才。
物腰が柔らかで、実年齢よりも若い印象をうける。
※写真は、取材相手がセーラー服の歌人ということで、学ランを着ていったときのもの。
子供のころは、本が好きでコミュ障気味な少年だったそうだ。
幼少期、一番印象に残っている思い出は、小学4年生のときに両親の強い勧めで始めた、ボーイスカウト。
「始めてはみたものの、僕にはまったく性に合わず、両親に『辞めたい』と訴えるも却下されました。小学6年生までの2年間は、ほんとうに辛かったです」と苦々しい表情で話す。
その体験から、『やりたくないことは絶対にやりたくない。自分の好きなことをやりたい』と強く心に誓ったそうだ。
【挫折のさきに見えた道】
文章を書くことも好きで、高校生のときは小説づくりに没頭。
自作の作品を友人に見せ、友人から「おもしろいね」といわれることが嬉しくて仕方がなかったそうだ。
やがて19歳のときに出会った村上龍の『限りなく透明に近いブルー』という作品がきっかけとなり、小説家を目指すこととなる。
「自分には想像もつかない世界、無縁だった世界を物語で描いていて、それがまたリアルで生々しい。僕もこんな作品が書きたいと思い、小説家になろうと決めました」
しかし、コンクールに応募し続けるも、思ったような結果はでなかった。
25才のときに書いた渾身の作品を群像新人文学賞に応募したが、箸にも棒にも掛からず落選。
小説家の道をあきらめて、某大手通信会社系列の企業に就職する。
そんなとき、ネットビジネスを始めた友人から、「広告用の記事を書いてくれないか」と頼まれる。
今でいうアフィリエイトの仕事だ。
そこで初めて、文章を書いてお金をもらうという経験を得る。
「微々たるものでしたけど、自分の書いた文章が、初めてお金になったときは本当に嬉しかったですね」
そう言って、はにかむ肥沼さん。
続けて、「そのとき小説家になるのは難しかったけれど、自分にはライターという道もあるんだなと気がつきました」と語る。
【ノンフィクションライター 上原隆さんとの出会い】
その後、広告代理店に転職し、会社員として働く一方、フリーライターとしての活動も開始。ライターとして少しずつ経験を積んでいく肥沼さんに、ある出会いが訪れる。
ノンフィクションライターの上原隆さんである。
いわいる普通の人たちに密着取材して、何気ない日常のドラマを淡々とした文体で描き、胸にグッとくるエピソードを書き続けている同氏の作品に、肥沼さんは感銘を受けた。
「上原さんの本をたまたま読みまして、そのとき『あぁ、自分もこういうのが書きたい。いつかこうなりたいなぁ』とすごくピンと来たというか、強く思いました。すると上原さんの本のプロフィールのところにメールアドレスが書いてあったので、『いつも読んでいます。憧れています』というメールを送ってみました。そうしたらなんと『では会いましょう』と返事が来たんです」
憧れの人と会うことになった肥沼さん。
緊張と期待に胸をふくらませて、待ち合わせ場所の新宿アルタ前に向かった。
「実際にお会いした上原さんは、小柄で優しい笑顔が印象的な方でした。ご挨拶させていただいた後、アルタ前から場所を居酒屋に移して、一緒に飲むことになりました。緊張はしていたのですが、『上原さんに会えて本当にうれしいです』とか、『ライターとしてこんな仕事をしています』とか、和やかな雰囲気で会話は進んでいきました。ただ、突然『ところで年収はいくら?』と聞かれたんです。まるで『出身地はどこ?』くらいの口調で。
このとき、聞きにくいことも、気になったらプロとして聞かなくてはいけないのだ、と痛感させられました」
そう当時をふりかえる。
上原さんの、プロとして徹底した姿勢。
その姿に、ライター業をとことん突き詰めてみようと、肥沼さんは覚悟を決めた。
そして彼は、フリーへと転身する。
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