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新宿二丁目、好きだったバーの亡骸とか

プライベートで失恋などありひどく落ち込んでいた頃、
およそ4年ぶりに新宿ニ丁目に顔を出した。


新宿ニ丁目は独特な街で、
最初に来た時はすごく怖くて、
でも胸が高鳴っていたのを昨日のことのように覚えている。

とにかく楽しかった。
そこにいるのは全員お仲間だった。


抑圧してる自分を解放できる瞬間。
田舎者の若者は、そうやってハマっていくのだ。

でも恋人ができてから、めっきり行かなくなった。

僕は仕事と、恋人と、
その他少数の友人との時間をメインに過ごすようになっていた。


別れてから、久々に行こうとふと思った。
やけ酒を飲もう、と。


でも4年ぶりに行くのは気が引けた。

4年もあれば、お客の層も変わってしまう。

当時よく行っていたバーも潰れていた。

と、新宿二丁目を徘徊してた時、すき家で偶然、
昔仲が良かった同い年の友達にバッタリ会った。


ちょっと気まずかったけど、挨拶を交わし、
そこからまた交流が始まった。

「彼とは別れたよ〜」
なんて僕の近況を話しながら二丁目の街を歩いていたら、
その友達の友達と会った。

同い年らしかった。


そいつはアキ君といい、いい奴だった。

僕はクラブ系が好きなのだが、アキ君もクラブが好きだという。


一瞬で意気投合し、
二丁目にあるクラブに行こうという話になった。


僕はずっと、二丁目にクラブがあるのを知らなかった。

だから高揚した。

「うそでしょ?ここにクラブなんてあるの?」と。

それから、僕とアキ君は、
かなりの高頻度でクラブに行く仲になった。

Instagramで僕から誘い、よく一緒に行っていた。

そのクラブはそこまで大きな箱ではないが、
すごく居心地がよく、大好きな場所の1つになっていた。


失恋の傷を癒すかのように
大音量で音楽を浴び、
そしてレッドブルウォッカをよく飲んだ。

いつからか、スタッフのタケさんと交流するようになった。


タケさんは最初かなり塩対応だったが、
ある日を境にすごく仲良くなった。


僕はアキ君とそのクラブに行き、
タケさんと話をする時間がすごく好きだった。 

そして気がついたら、
僕はタケさんに会いにそのクラブに足を運ぶようになった。


ひとりでも行けるようになったのは、
タケさんが話しかけてくれるからだった。


僕はタケさんがいるこの空間と時間が、大好きだった。

いつまでも続けばいいのに、とずっと思っていた。


それから、もう一店舗、
アキ君とよく行くショットバーがあった。

そこもいい感じの音楽が流れていて、
外国人観光客で賑わっている場所だ。

僕はそのショットバーで、
クマさんというスタッフと仲良くなった。


いつからか、クマさんに会いに
そのショットバーに顔を出すようになったのだ。


アキ君がいなくても
僕は一人でタケさんがいるクラブで楽しみ、
そして、クマさんがいるショットバーに行った。

朝方まで。平日だろうと関係なく。


他にも二店舗ほど発掘したのだが、
でもやっぱり、そのクラブとショットバーが僕のメイン拠点だった。

とにかく楽しかった。

飲み過ぎて、朝方、道で吐いていたこともあるし、
頭がぐるぐるしたまま寝転がっていたこともある。

元カレのことが、どうしようもなくまだ好きだった。



あれから、2年くらい経った。

世の中にコロナウイルスが流行し、
状況が大きく変わった。


二丁目界隈でいうと、
潰れたお店も結構あるし、縮小せざるを得なくなった。


僕が大好きだったクラブは、
従業員をほぼ全員解雇するという判断を下した。

そしてしばらく閉鎖。

タケさんはいなくなった。

まったく別の、ちょっと特殊なバーで今は働いている。


僕が大好きだったショットバーも、
営業形態が変わった。


コロナの影響か分からないが、クマさんはいなくなった。

どんどん形が変わっていった。

もともとは心の傷と孤独を埋めるために
なんとなく行きだした二丁目だったが、
コロナが来てから全然行かなくなった。


むしろ、コロナが流行る前に
飽きるほど行ってよかったと思った。

つまり、ほんと気がついたら、
永遠だと思っていた
大好きな場所の形が変わってしまった。


僕はずっと
タケさんのいるクラブが好きだったし、
クマさんのいるショットバーが好きだった。

二人のいるその空間が好きだったのだ、結局。


昨日、そんなことを思い出しながら、
久々に二丁目に顔を出した。


タケさんがいなくなったクラブは、
スタッフの顔ぶれが全員変わっていた。


人も少なかったし、すごく寂しかった。

そのあとに、クマさんがいなくなった
ショットバーにも顔を出した。


店内の配置も客層も大きく変わっていた。

昔は外国人観光客ばかりだったのに。

知ってる人は全然いなかった。


僕はラムコークを飲みながら、
知らない誰かのカラオケをぼーっと聞いていた。

心ここに在らずだった。

亡骸だと思った。


もうあの形のままそこには存在していない。


大好きだった人に久々に会ったら
外見や中身がガラッと変わっていて、

「あぁ、もうあの頃の感じじゃないんだね」

と少し寂しくなるような感覚。


同じ店であるはずなのに、まったく違う店のように感じた。


『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』
という小説の中で、こんな言葉がある。

結局のところ、私たちはみんな喪失の過程を生きているのだ。

貪欲に得ては、次々にうしなう。


本当に、そうだと思う。

形あるものは、必ず崩れる。

永遠だと思っていたものは、永遠ではない。


それなのに僕らは、
今のこのままがずっとそのままで
あり続けることを信じてしまう。


だから瞬間に感謝ができない。


僕だって、3年後も5年後も、
タケさんのいるクラブと、
クマさんのいるショットバーが存在し続けると思っていた。

そして辛い時に、僕を支えてくれるのだろう、と。


作中のあとがきには、こんな言葉も残されている。

瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば、
私はやっぱり瞬間を信じたい。


そう、形あるのは揺らぎ、
いつか必ず崩れてしまうとしても、
いや、崩れてしまうからこそ、僕も瞬間を信じていきたい。


改めて、そう思った。


形あるものは、「僕ら」も含まれる。


これを書いている僕も、あなたも、
リアルタイムで命を燃やしている。

100年後、今を生きてる人たちは全員死んでしまう。

と、そんな思い出話と諸行無常な現実について、
昨日、クラブからちょっと特殊なバーに移動したタケさんと話をしていた。

そのバーは特殊すぎるのでここで詳細は書かない。

これからまた、二丁目でも、
新しい場所や人との出会いがあるのだろうか。


そしてまた、いつか失うのだろうか。


覚悟はしていても、やっぱり寂しいのだろうか。


その寂しさが怖いからといって、
出会うのをやめた方がいいのか。

いや、でも僕は、出会っていきたいと思う。

結局のところ僕たちはみんな喪失の過程を生きているとしても、
出会っていきたいと思うのだ。


−ブログやメルマガに書くまでもない話
(by 20代起業家)

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