見出し画像

【感情保存用】2年ぶりに元カレと会ってきた話。絶望、足踏み、光

こんにちは。

感情保存用として、自分のために書き残しておきます。

一時的に公開すると思うので、自己紹介だけ先に記します。

僕は20代、ゲイ、Web関係で起業して3年目の発信者です。

Twitterアカウントは2つあります。

スクリーンショット 2021-07-28 19.17.14

スクリーンショット 2021-07-28 19.18.02

あえて怪しくしてるのですが、プロフに書いてあることは全て事実です。

最近はセールライターとして企業のLPやメール文章を代行で書いたりもしてます。毎月の粗利の30%がしぬまで入ってくる、みたいな仕事です。

メインの発信媒体は、Twitter(Kてらけん)、ブログメルマガLINE@です。お金・時間・場所・人に縛られない自由で強い個人を輩出しまくることを理念に活動しています。ビジネス、マーケティングの発信が多いです。

過去、誰かのサブアカ?実在してるの?と言われたこともありましたが、僕は僕ですし、もちろん実在していますのでよろしくお願いします。

で、今回ですが、売上UPや副業の成功に直結するような話ではありません。

それを求めてる人は上記メディアをくまなくチェックしてもらえたらと思います。

繰り返しますが、感情保存用として、自分のために書き残しておくnoteです。

構成も考えずにバーッと書いていくし、すごくドロドロした内容になるかもしれない。本音120%の、喜怒哀楽の感情を書き殴ります。自分のためね。

2年後、3年後とかに自分が見返す時のため。その時にどう想うんだろうなぁって。感情って細かい部分は忘れちゃうので、こうやって文章や音声で保存しておくといいです。


さて、2021年7月24日、2年ぶりに元カレに会ってきました。

この決断に至るまでに一体どれだけ苦労したか・・・自分、がんばったと思うよ。えらい。

ちょうど、5年くらい前かな、僕がまだ大学4年生くらいの頃、彼とは出会いました。

ほんと、熊みたいな人。だからあだ名は熊でした。熊。

彼は歳下で、本当に若かった。でも僕らは恋に落ちてしまい、それからおよそ4年間、不器用ながらも付き合ってきました。

で、ずっと遠距離だったんですけど、そろそろ近くで過ごしたいねということで、彼が住んでいた愛知に僕が引っ越したのを機に、事態は急展開を迎えます。

最初は、すっごく楽しかった。ほんと幸せだなと思いました。

というか、こういう幸せがあることを僕は知らなかった。起業してから、営業マン時代と比べて10倍くらいの月収を手にしてきたけど、ああ、こういうところに真の幸せってあるのかなぁと思った。

一緒に買い物に出かけて、コストコとか行って、たまに焼肉とか寿司とか食べに行って、すっごく幸せ。料理を作ってもらったりもして、まだテーブルが届いていない部屋で、噛み締めながら味わったのを今でも覚えています。

遠距離ってしんどいですよね。これって男女でも一緒だと思う。一番会いたい時に会えないから。

ビジネスをがんばってきて、僕自身がお金・時間・場所・人に縛られなくなったから、すぐ愛知に飛べたんですよね。だからあの時、ビジネスにすごく感謝したのも覚えています。

とにかく楽しかった。毎日一緒にゴロゴロして、昼頃に起きて、二度寝して、ご飯を食べて、どこかに遊びに行って。この日々が一生続くと思った。ずっとずっと。

でもある日、とんでもない事件が起きてしまって、それで、話し合った末に別れることになった。(ですます調、やめますw)

その時、当時から僕と繋がってる人なら覚えてるかもしれないけど、めちゃくちゃ落ち込んで、泣いて泣いて、Twitterでも荒れてしまった。めちゃ連投した。

事件の内容はここでは書かない。もう終わったことだから。2年前だしね。気になる人はKアカウントを見返してみてもらえたら。

で、別れることになって、あの部屋にもういることができなくなり、そんで東京へ移った。

このとき、ほんとしんどかった。めちゃくちゃしんどくて、なぜあんなことが起きてしまったのか、、と頭を悩ます日々。救われないなと思った。

部屋のものを全て捨てる勢いで処理して、毎日泣いていた。事件が夢であって欲しいと毎日思っていたけど、現実だった。おもいっきし。

どれくらい泣いたかわからない。色々な人に電話もしてしまった。名古屋にいた仕事仲間にも迷惑をかけた。

めちゃくちゃ話し合ったんだけど、もう物理的に無理だなと思った。他にも色々な理由があって。割れたビンって元に戻らないんだなぁってこのとき腑に落ちた。

それから半年間、東京、共通の友人の家に住まわせてもらった。今みたいにホテルとかに住んでもよかったんだけど、あのとき、もうまじでメンタルやばすぎて、共通の友人のそばに居たかった。わがままだったなぁと思う。

毎日のように酒を飲んで、話を聞いてくれて、時にはまた泣いて、夜中の散歩に付き合ってくれたりもして。ほんと、一生感謝してる。あの日々がなかったら今はないかもしれない。

それから、久々にゲイ界隈での活動も再開した。新宿二丁目に平日の夜に行って、そこでまた飲んで、ママさんに励ましてもらって、たまに飲みすぎて朝型に吐いたりもしてた。起業家が何やってるの?という感じだが、仕事なんてできなかった。この半年間、ほぼニート。収入はある程度自動化してたから、新宿の路上で吐いていたとき、勝手に収益が発生したりはしていた。

今思えば、あれ以降、2年が経つけど、だいぶ友達ができたなぁ。TwitterもInstagramも再開して、プライベートの繋がりがどんどん増えていった。友達にも感謝だなぁと思う。逆にずっと愛知にいたら、今出会ってる人たちとは出会えなかったのかなぁ。不思議だよね、縁って。

そんな感じで半年間、廃人生活を送っていたんだけど、もう事件のトラウマもやや解けてきたし、よし、と思って、仕事を再開することにした。

今まで情報発信メインでやってきたけど、今度は事務所を構えて、BtoBでやろうと思った。メディア構築とかライティング代行とかSNS運用とか。

で、メンバー4人で立ち上げ。スタートアップみたいな感じ。僕はビジネスマインドが整っていたから、2か月目くらいから軌道に乗った。

すぐに売上100万、200万と伸びて、楽しかった。事務所でワイワイ、昼からテキーラを飲んだり、遊んだりしながら。このまま規模を拡大していこうと思ってた。

人件費入れると固定費は月に100万くらいだった。ちょい重かった。精神的にね。

で、1年しないうちに解体したんだけど、朝起きれないし、場所縛られるし、それに情報発信ビジネス(コンテンツビジネス)の最強さに改めて気づいてしまった。

あとは人間関係とか色々。。たくさん考えて、解体することにしたんだよね。このときも感極まって泣いてた気がする。なんかすぐ泣いてしまう。人前であっても。。

みんなには迷惑かけたと思ってて。自分的にすごく反省点も多い。旧メンバーのひとりはそれからライターとして独立して、3日後に久々に会うんだけど、今度、お互いパワーアップした状態で企業のセールスライティングの仕事を振れることになった。嬉しい。めちゃくちゃ。なんだかんだで信用してくれて、そんで、また一緒に仕事ができる。恩を返していきたいし、背中で語っていきたいよ。

…それは置いといて、あの経験は、僕にとってはムダではなかったとは思ってる。あれがなかったら、復活できなかった可能性もあって。ただ迷惑かけちゃったのは申し訳ない。だから関係者にもたっぷり別の形で返していきたい。

(関連記事。当時のこと→月間20万PVのメンヘラ向けサイトを漫画会社に売却してみた

正直、あの期間って、僕にとっては救いだった。というのも、傷・トラウマはやっぱりまだ残っていて、でも仕事に夢中になってる時は少し忘れられた。仕事が救いになる日が来るなんてね。

ほんと、色々した。忘れるために、逃げるために。現実からかな。まだコロナが蔓延する前だったから、ハワイ島に行って、ベストセラー作家と遊んだり、イルカと泳いだり、台湾でディープスポットに飛び込んだり、シンガポールでバンバージャンプをしたり。

(関連記事→ベストセラー作家の高橋歩とハワイ島でベットインしてみた

その全てで、彼のことを考えていた。だから普通に、一般的に未練タラタラだと思うよ。でもひとつ言い訳するとしたら、普通の別れではなかったから。普通に別れていたら、こんなにも引きずらなかったんじゃないかなあ。

事務所を解体したあとは、とある人と縁があって出会って、そんで、半年間300万のコンサルを受けることにした。

スクリーンショット 2021-07-28 21.32.34

ぶっちゃけ、また1からビジネスを大きくしたかったのもあるけど、純粋に、忘れたかった。夢中になれば、忘れられると思って。

コンサル期間中、思い出すことも減った。時折思い出したりはしたけど、やっぱり時間ってすごよね、明らかに傷の痛みが減っていって。緩やかにね。

そんで、コンサル費は半年間で回収した。というか人生単位で見たら数億〜数十億のリターン。今思うと、彼と別れたからこそ、コンサルを受けることができたのかなあと思う。つまり付き合い続けていたら、そもそも300万のコンサルなんて受けなかったと思う。選択肢としてね。

気づいたら1年半くらい経っていた。別れてから。新しい人つくらないの?ってすごく言われたし、次に進んだ方がいいよって言われた。その通りだったと思う。でもなんか、ぜんぜん恋に落ちる相手がいなかった。やっぱり頭の片隅にいたからだと思う。彼の存在がね。

ある日・・・

お世話になってる経営者4人グループで海の方に、遊びに行って。いわゆるワーケーションっていうやつ。仕事しながら休む、みたいな。

そこで、元カレの話になり、とある敏腕経営者から、

「〝好きだった〟ではなく、まだ好きなんでしょう?
自分の気持ちに素直になりましょうよ。
連絡を取りたい、でも取るのが怖いっていうのは、
返信がこない可能性、もしかしたら復縁できるかもしれない
という可能性が0になるのが怖いんですよ。
いいですよ、今連絡してみましょうよ。
前に進めるきっかけになるかもしれませんよ」

といったことを言われた。このときも少し泣いていたと思う。。

で、深夜テンションということもあり、2年ぶりくらいに、LINEを送信。

「とくに目的もなく、
どうしたいってわけでもないんだけど、
ただ、連絡を取ってみたかった。
元気にしてるかなぁと気になってさ〜

迷惑だったら無視してね!

ぼくはあれから東京に移って、
しごとは順調だけど、
いろいろな荒波に揉まれたりしてるよ笑

◯◯はもう社会人だよね」

と送信。

そしたら1時間半後に返信が来て、心臓が飛び出そうになったのを覚えてる。

複雑な感情すぎて。でも、向き合わなきゃなと思った。色々と。そこでLINEのやり取りをして、ある日、電話をすることに。

心臓バクバクだったよ、もう。何を話したかあまり覚えていないけど、2年ぶりに、色々話したと思う。相手の仕事(いま営業マンらしい)がブラックで大変らしくて、その愚痴を聞いたり。

ずっと、LINEをしたり、声を聞くのだけでも怖かった。画像も全て消したし。ずっと忘れられなかったけど、避けていたんだよね。

だから、意外と冷静なトーンで話せてる自分に驚いた。2年ってすげぇなあと思った。自分で自分に感動。

賛否両論あると思うけど、僕はまだ、復縁の可能性を考えていたのも事実。ワンチャンあるのでは?と正直思っていた。それからしばらくして、数ヶ月後かな、実際に会うことになった。飯でも行こう、と。

これは、なんというか、僕の中で終止符を打つためでもあった。会って、気持ちにケリをつけて、本当に意味で前に進もう、と。

だから怖かったけど、会った。六本木でね。ぶっちゃけこの日、もうここまで書いてきたから書いちゃうけど、本当は午前中〜昼だけ会う予定だった。

午後はセミナーだったんよね。参加費5万円、年商1000億企業をアメリカで作った人の。これはまためちゃくちゃん勉強になったからどこかで後でシェアするね。

で、そうそう、午前中とか起きれる自信なかったし、前日から会おうってなった。夜、六本木で、最上階にスポがあるホテルをとってたから、飯でも食べた後、宅飲みしようってなった。

いざ、対面。緊張したけど、そこまでバクバクしなかった。焼肉を食べに行って、それがめちゃくちゃ美味しくてね。

2年ぶりだね、仕事は順調?みたいな話をした記憶はあるけど、あまり覚えてないや。肉は美味しかった。それは覚えている。

じゃんけんで勝った方が奢ろうってなって、よし、、じゃあその前のトイレ行ってくるって僕が席を離れてる間、会計を済ませてくれてた。3万くらい。これにはびっくりしたよ。今までずっと奢ってきたからね。ここで奢ってもらえたのは、嬉しかった。彼なりの恩返し?なのかなとか思ったり。

で、ホテルで飲み直そうってなったけど、二人ともお酒が回っていて、結構眠くて、気づいたら爆睡してた。夜にスパは行けなかったから、翌日の朝に行った。

懐かしかった、全てがね。2年間、試行錯誤しながらガムシャラに突き進んできたなぁって思った。二人の温度差。

一応言っておくと、ほとんど体には触れなかった。これも色々とあってね。なるほど、やはりもう何も想ってないんだなぁって肌で感じた。リアルで会ってよかったと思った。肌で感じるってすごく大事だから。

そんで、時間になって、バイバイした。帰りは六本木駅で。

改札前で、こう言われた。

「未練タラタラなのはそっちじゃんな〜
いつまで足踏みしてんのよ
もっと見返してよ、がんばってね」

そんな感じのこと。

あぁ、ずっと足踏みしてたなぁと思った。

この瞬間まで、してたなあって。

「好きだった」と過去形にしてたけど、現実を受け入れられず、本当は「好き」だったんだなぁって思った。気持ちに嘘ついて、仕事で紛らわしてきた部分あるなぁって。


そして、今、なんかスッキリしてる。だからこの感情の推移を書き残しておきたくて、こうやって殴り書きをしてるわけだけど。

結果論だけど、LINEも、電話も、会ったことも、よかったと思ってる。僕は自分の心の声に従った。後悔ないように行動して、確かめたかった。今自分はどう思うか?どうしたいか?

会ってわかったこともある。あ、もうこれはダメだな、とか、もう本当に終わっていたんだな、とか、もう物理的に戻れないな、とか、僕が一方的にずっと引きずっていただけなんだな、とか。会わなかったら実感できなかった。傷つくことを恐れないで会ってよかった。

これはちょっと意味不明かもだけど、彼は、僕に対して、痩せてと言っていた。昔から。細専なんだよね。でも僕は太ってしまった。でも今の自分の方が正直モテるし、好きなんだよね。自分が自分のことを。

だから、六本木のホテル、最上階のスパでさ、「うんうん、でも僕は今の自分の方が好きだし、やっぱり戻れないね。色々な意味でさ」と話した。他にも事件のこととか信用問題とか色々理由はあるんだけど、だからそういう全てを包括して、「やっぱり戻れないね。色々な意味でさ」と話した。

それを、対面で、口に出して言えてよかった。彼もそれならそれでいいんじゃない?と言っていた。かなり温度差はあるよ。

やばいまた泣きそうまじで。。とにかく、後悔したくなかったんよ。何事もそう。伝えたいことは伝えたいし、会いたいなら会いたい。心の声に素直に。まっすぐに。

ビジネスでもそう。後悔したくない。だから大手企業をやめて今に至る。自分のことを信じて進んできてよかったなって。僕の姿で誰かが勇気付けられたりもして。


ずっと聞きたかったことがあった。この2年間。「僕と過ごした4年間は楽しかった?」と。僕もひどいことをしちゃったりもしたから、僕と出会って後悔してないかな?と思ってた。

そしたら、「うん、楽しかったよ」と。ビジネスのことも知れて、マインドも変わって、それも感謝してる、的なことを言っていた気がする。

たしかに彼は後半でビジネスに興味を持ってくれて、そんで僕がインターネットビジネスを教えて、ココナラで毎月10万くらい稼いだり、コンテンツ販売で日給8万を出したりしてた。懐かしい。


改札で見送った時に思った。あぁーもう、会わないだろうな、と。

LINEもほぼしないだろうな、と。自分の中にケリがついたというか、いい意味で、終わった感じがした。2年かけて、ようやく収束したような感覚がした。

そして、これからも力強く生きていこうと思った。自分の道を、ずっとずっと。例え後ろ指をさされようとも。

多分、「もう完全に終わってるんだよ」ってことを対面で、腑に落としたかったのかもしれない。記憶って美化されるから、思い出すのはいつも昔の、出会った頃のシーンばかりだった。

後悔の残らない選択・行動をしてよかった。バイバイ。また10年後とか、お互いもっといいパートナーを見つけてさ、またその時、なんの曇りもなく会えたらいいね、と思った。付き合ってたのは事実だし、めちゃくちゃ、本当にめちゃくちゃ好きだったのも事実だからさ。


今もしかしたら、あなたは、恋愛に限らず、何かのことで、すごく悩んでいたり、心が疲れているかもしれない。でもね、これは後悔のないように行動したきた僕だからこそ言えると思うんだけど、出口のないトンネルも、朝にならない夜もないんだよって思う。今はどん底でも、前を見て進んでいれば、必ず突破口はある。それはビジネスでもそう。

だから、後悔のないように、進んでいってほしいなと思う。僕も、そうしていくよ。その道の過程で、もし会うことがあったら、ぜひその時はお酒でも飲んで語り明かしましょうよ。ここでの出会いも、一期一会だと思うので。


やばい、感情を書きすぎてめちゃくちゃになってなければいいけど、これが今の僕のプライベートの1コマでした。リアルタイムの心の声。自分なりに試行錯誤して、ひとつ、自分にとってのケリをつけたという話。まだ残ってる部分は少しあるんだろうけど、完全に記憶を消すことなんてできないしな。

今夏だし、なんかもう、新しい恋をしようと思ったよ。今はそう思えてる。たくさん傷ていてきた人にしかできない恋や、書けない文章ってあると思う。

こういう話をすると、驚く人もいると思う。まぁこれは感情保存用だし自分用に書いてるんだけど、読んで、「え、この人、色々成功してると思ったらこんなに悩んでるしこんなに人間なの?」と思った人もいると思う。

たしかに、独立してから、結果は出してきたよ。

てらけんのTwitterのプロフで、

「群馬大学→商社営業→起業、1年目から毎月100万超えを自動化。電子書籍が全ヒット。紙媒体の出版、メディア事業売却、出版社でのトークイベも経験。最近は東京と沖縄を気分で行き来しつつ、年商数十億企業のSNSコンサル、集客支援とか。成功不可避の隠れ家メルマガ(http://bit.do/teraken)運営中」

とかサラッと書いてるから、実績やば…と一線を置いてた人もいると思う。

でも、プライベートもビジネスも、僕も人間だから、すごく悩んだり葛藤したり試行錯誤したりして、その上で今の自分がいるだけ。もともとはゼロだし、何もなかった。何も知らなかった。

僕みたいな起業家とか発信者って、「悩みなさそう」「なんでもうまくいってそう」と思われがち。でも違うと思う。人間だもん。心が介在してるもの。

今、一部の人(400人くらい)にマインド企画を流してて、それが想像より好評でありがたいんだけど、だからこそ、本当は、「悩みなんてありません」「なんでもうまくいってます」「最強のマインドを持っています」と言ったほうがいいと思う。ブランディング的にね。

でも、そうじゃないんだよね。今の起業家マインド、成功マインドがあるのも、こうやって、自分なりに壁にぶち当たったり、試行錯誤したり、長い年月とお金をかけたきた中で醸成してきた。それ以上でもそれ以下でもないよ。

だからこそ生々しい体験や本質が語れるわけだし、それが僕の役目だとも思ってる。これからも、実績は右肩上がりだけど、同時にまた傷ついたり、また失恋したりしながら、生きていくんだとと思う。傷ついて、傷つけられて。

その中で、どんどん心を鍛えて、もっともっと研ぎ澄ませて、最終的には、もっと人の痛みに寄り添えたり、誰かを救ったり、そういうこともできるんじゃないかなと思う。マインドって、結果を出すためだけのものでもないからね。

さて、久々に感情ダダ漏れのコンテンツを作ってしまったけど、数年後に見返すのが楽しみだなと。ここに感情保存しておきます。

長くなったり、話が逸れたりしましたが、以上です。後悔のない選択、決断をしていきましょう。プライベートでもビジネスでも。その先に素晴らしい景色が待ってると思うのです。僕は進むよ。

2021年7月28日   K(てらけん)

p.s

メインの発信媒体は、Twitter(Kてらけん)、ブログメルマガLINE@です。お金・時間・場所・人に縛られない自由で強い個人を輩出しまくることを理念に活動しています。ビジネス、マーケティングの発信が多いです。

200ページ超えの書籍「SNS起業の教典」をプレゼント中→こちらから


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?