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父と会って話せる残り時間

記事:くろだ しゅんすけ

「仕事はどがんや?」

「暇ではないよ」

「……」

父と会ったときの会話である。

この会話は、まだ良い方だろうか。

会うのは一年で二回くらい。

「父は不器用な人」

「父は寡黙な人」

「父は真面目な人」

誇張していない。

いま記事を書く事で、生まれて初めて父がどんな人なのかを冷静に考えた。

そう実感した。

……

わからない。

僕は37歳、38歳を目前にひかえているのだが。

おやじは本当はどんな人なんだろう。

嘘も本当もないのだが

息子と父という間柄で無意識に関係を生きてきた。

既婚者の僕は「夫として」父と自分を比べることも

二児の父である僕は「父として」父と自分を比べることもできる

あるいは、大人として、男としてなど

あらゆる観点でできるが

そもそも父のことを

どんな人なのか冷静に考える事が

人生においてほとんどなかったのだ。

だが、それ以前に親子としての関係性すら

まともに考えたことがなかった事実に

表現の難しい感覚をおぼえた。

ただ、熱く込み上げる何かの存在は否定しない。

何という言葉がふさわしいのだろう。

同居されているかた、離れて暮らされているかた

あるいは、もう会う事が叶わないかたもいるかと思う。

ある記事を目にしたきっかけで

この文章を書こうと思ったのだが

両親と過ごせる「残り時間」というタイトルで

あらゆる年齢や同居、別居

一年に会うおおよその回数の平均などをもとに

会って話せる時間をセイコーが算出した

「セイコー時間白書2019」というものがある。

その中の一部を

私の条件に当てはめて抜粋する。

両親と別居して暮らす35〜39歳が

母親と会って話せる時間

「26.1日(626時間)」

ちなみに同居の場合だと

「176.7日(4.421時間)」

同じ空間にいる時間ではなく

お互いに意識を向かい合わせ関わる時間である。

この段階で、いまあなたは何を思っただろうか。

様々な思いが駆けめぐる。

そして

「父」の番だ。

父親と会って話せる残りの時間

「11.5日(276時間)」

同居であれば

「178.8日(4.290時間)」

どう感じただろうか。

僕は、会ってもほとんど会話しない。

もしかしたらもっと少ないのかもしれない。

そう思った。

一家七人。

母は専業主婦。

男一人で家族を養ってくれた父

今は子ども五人は自活しているが

日々何を思い。

日々何を感じ。

日々何を背負い。

日々何とたたかってきたのか。

まともに想像する事もなく生きてきた。

今があるのは、すべて父のおかげ。

学べた事、環境が整っていた事。

父から

何が辛いとか

何に困っているとか

一度として耳にする事はなかった。

未だに、直接きいたことはないので。

父の本音は一切わからない。

機会をもってきいてみようと思う。

仕事やめたいって思ったり

生きていく事すら辛かったり

どうしようもない気持ちになった事

なかったの?

全くの想像がつかないのだが。

家族のために人生を捧げた父の本音は。

妙に、こっ恥ずかしいのは何でだろうなどと

今この瞬間でも思っている。

ただ一つ。

父を尊敬している。

存在は偉大で、大きすぎて見えないのかもしれない。

絶対に本人に言う事はないが。

あえてここで言うならば、正直なところ。

「全然、嫌いではない(笑)」

そっけなく

適当に接してしまうのは

甘えの裏返しという事……

そういうものなのかな。

《終わり》

時間は有限


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