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野生にかえった象たちが飼育員の僕を柵の外へ出してくれた

記事:くろだ しゅんすけ

皆さんは「いっぱいいっぱい」という言葉を耳にする事はあるだろうか

そして、その言葉がどんな状況で使われるのか

深く追求してみた事はあるだろうか

今回は、いくつかの例をもとに掘り下げてみる事にした。

僕は、美容師になって今年で18年目

店長を任せてもらっている。

提供するサービスや店舗管理、スタッフの育成まで

日々、決して満足する事なく「自分なりに」試行錯誤し続けている。

まず「自分なり」という言葉に注目してみよう

自分を中心とした社会、つまり「私が生きている社会」といったところだろうか

置き換えて「私が生きている社会では、もう限界寸前です」と受け取った。

さらに、自分の生きている社会というものが

いかにして創られていくのかを、象を例にあげて想像してみた。

幼い頃から鎖で繋がれて育った象は

大人になっても、鎖を切って逃げたりしようとはしない。

それとは対照的に

野生の象を鎖で繋ぐと、一瞬で引きちぎってしまうのではないだろうか。

飼育されて育ったのか、野生で育ったのかによって

生きている社会というものに違いが生まれそうな予感がした。

次に、この鎖は何に当たるのか考えた。

親子関係の癒着、教育制度……

宿命のような生まれつきの環境もあるだろうか。

野生の動物であっても、最初は必ず親がエサを食べさせると思うが

親が、いつまで食べさせているのか考えてみると

おそらく子供が自分でエサをとって食べれるようになるまでだろう。

エサを食べないと死ぬ、エサにありつけないと死ぬ

すごくシンプルなもので、食べるとは生きることなのだ。

飼育されて育った象は毎日決まった時間にエサが与えられる

エサにありつけず死を身近に感じる事もなければ、敵に狙われる危険性もない。

仮にそのまま人で言う成人となって、野生に放つとどうなるだろう

きっと、エサにありつけずに餓死するか

敵に襲われて捕食されてしまうだろう。

社会とは、自分でエサをとり、生きていく野生そのものである。

このようにして

飼育された象と野生の象の社会は大きく違うものとなった。

そう考えると、人間においては

鎖は、子離れできない親なのかもしれない。

失敗しないように、あるいはいじめられないように、ケガをしたり少しの危険にもさらさないように、鎖に繋いで何でも把握できる状態を保とうとする

こうなると、もはや介入ではなく干渉と言えるだろう。

介入とは当事者以外のものが割り込む事

干渉とは他人の事に立ち入り自分の意思に従わせようと妨害する事を言う。

鎖を、そう捉えた場合

「家庭」と書いて字の如く、家という庭の中で鎖を使わずに野生的に育む事が大切なように思った。

ケガだってするときはする、家族間で思いやりをもってお互いの考えを尊重し合えれば

学校でも会社でもきっとできるはずだ、生きていると思いがけない危険もあるだろうが

考えてもキリがないし、何より危険察知能力は、痛みを知る事でこそ高まるものだろう。

また、鎖を親子の信頼関係と捉えた場合

親は生き様を通じて憧れを抱かれるような存在でありたいものだ。

困難な状況、失敗した時、それでも諦めず立ち向かっていく姿は

子どもたちに勇気や希望、何より誇りとなるはずだ。

先日、ここ最近なんとなく新人のスタッフが元気なく感じる時があり

他のスタッフに尋ねてみたときの返答が

「今いっぱいいっぱいみたいです」だった事が今回の題材の発端なのだ。

詰め込みすぎて追い込んでしまったかな……

毎年、本当に素晴らしい人材に恵まれているにも関わらず

業績はわずかな成長にとどめてしまっている。

育てる気持ちが熱くなりすぎる傾向を自分自身に薄々感じはじめていた。

象に例えて考察していた僕はハッとした。

しまった!

めちゃくちゃ過保護に過干渉してしまっている! 

ものの見事にしっかりと鎖で繋いでいるじゃないか!!

あなたのためだとか、あなたのことを思って、という愚かな言葉を使って

失敗を恐れているのは何を隠そう僕自身であり

ケガをさせないようにしているのも、傷つきたくないのは自分じゃないか。

やってしまった。

そして今

改めて自分を変える何よりも大きな一歩として

心から文章を学びたいと感じたのだ。

その理由は

相手が気持ちよく、そして楽しく言葉を受け取れて

先輩として、人として

最後までききたくなるアドバイスやフィードバックをしたい。

その言葉や文章が相手の人生を変えるきっかけになれるのなら

最高だと思ったのだ。

学んだ知識をひけらかす事ではなく

聴く相手が理解しやすく迷わない言葉を選びながら

心地よくなる文脈と空気感も大切にして

主役は大切なスタッフ一人一人なのだ。

僕の店舗はスタッフ総勢8名

男性の上司と、6名の女性スタッフ

彼女たちは、強くしなやかで優しく何より賢かった。

野生の中で飼育員である僕が平然と生き延びていられていたのは

まぎれもなく、仲間達に守られていたからに違いなかった。

僕も仲間達から学んで、サービス精神満載の人間で生きていくと決意した。

《終わり》

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