腐の恩恵

自分ではとうに理解していたと思っていたことが、実はナニもわかっちゃいなかった、というのがとてもよくわかったので、その記録。

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我輩は、腐女子である。ちなみに名前(PN)は腐るほど持っている。

高校で吹奏楽部の門戸を叩くはずが、ちょっとした気の迷いにより音楽室と階段をはさんでちょうど向かい側にあった理科室を訪ねて天文部に入ったときから、先輩・同級生からの801の洗礼を受け、全国統一模試の日に徹夜で原稿を書き、試験後に印刷所まで入稿しに行くほどこの世界にドップリ漬かる人生が決定されたのである。両目1.5をキープしていた視力は0.1まで落ち、勉強のために親を説得して一人で上京したはずなのに、原稿とイベント通いに明け暮れて結局大学入学まで2浪もしてしまうほどに、救いようのない腐女子であった。

…とまあ、どう考えても腐であることは人生においてマイナスである、と当時は思っていたのだけれど、実はこの同人活動で得たものが、どう考えてもその後の人生には役立ちまくってきた。すくなくとも私の場合。

まず第一に、当時から続いている交友関係は、すべて同人活動で知り合った仲間である。それ以外は皆無!(苦笑)
生来猛烈な面倒臭がり屋の私は、手紙にしてもメールにしてもどこかで不義理をやらかすので、ほとんどの旧友とははるか昔に没交渉となっている。
何年も没交渉でも、萌えの話になれば食いついてきてくれるオタ友は、私にとって女神にも等しい大切な友人たちである……(笑)

第二に、同人活動で得たDTPの知識や印刷物の入稿の知識、ウェブサイトの構築とホスティングサーバの管理の知識がなければ、うちの家業は成立していない。1990年代にこれらの知識を駆使して、ホームページを立ち上げウェブ上で親の仕事の個人事務所を始めた。今でこそ当たり前の話だが、当時は個人がそれを運営するのは珍しかった。
この個人事務所の収入が、ほぼ30年たった今、親の主収入になっている。はっきりいって、私がオタクで腐女子でなかったら、今の彼らの生活はあり得なかったのだ。
これだけでも、二浪して予備校代たくさん払わせちゃったけど許して❤️といいたいところである。
ついでにいうと、その業績に目をつけた兄の会社にも雇われて、そっちの管理もやっている(ただし役員なので報酬ナシ!)

第三に、この知識のおかげでいくつかのNPOに参加することができた。
ボランティアなので、もちろん時間も労力も削られる。しかし、本業では決してできない経験を積ませてもらい、人脈を紡がせていただいた。
私の本業は一生はやれない仕事なので、どこかで第二のスキルを磨いておかないと、あと10年後には詰んでしまう。その意味で、人脈を広げさせてもらえるのは本当にありがたい。

と、まあ、二十代後半に入ってからの私は、わりと自分が腐女子であることを肯定的に捉えていたのだけれど、この10年ほどは、敢えて遠ざかってしまっていた。

理由はいくつかある。
本業の方の結果がなかなか出せなくて、焦りがあること。
抱え込んでしまったNPOの活動が忙しくなり、時間的余裕がなくなったこと。
さらに、金銭的にも余裕がなくなったことで、習い事やイベント参加を取りやめたり、面白そうな漫画本にも手をださなくなるいい口実ができてしまった。
そんなこんなで、ある日、「しばらく落ち着くまで、オタ活はやめよう」と、ふと思ってしまった。

今にして思えば、それでやめられてしまったのだから、要するに自分の中の萌えが枯渇してしまっていたのだろう。
書きかけで完結していない話もたくさんあるし、今でもそれを仕上げたい気持ちは変わらないのだけど、やはり二次とはいえ創作はそれなりにエネルギーが必要な活動であって、そこまでエネルギーをチャージすることができなくなってしまっていた、というだけの話なのかもしれない。

ただ、ここが本日の一番キモの話なのだけれど───
実は、たまには書いてみようか、とまったく思わなかったわけではないのだ。
そういう気分になることもあったけれど、いざ書こうとすると、本業の進捗状況が頭をかすめる。毎日のように送られてくるNPOからのメールが気になる。
こんなことをしていてはいけないのではないか。
所詮趣味だし、二次創作だし、絶対必要、というものでもないのに。
優先すべき仕事が、他にもこんなにあるじゃないか。
…と、どうしても思ってしまうのだ。

これはつまり、私自身が、腐女子であることが、自分という人間を構成するのに絶対に必要不可欠な要素である、と認めていなかったからにほかならない。
なんということか!
20代後半には、オタ活の効能が見え始めて、腐女子である自分自身を認めたと思い込んでいたのに。
実は、そんなことはまったくなくて、私のメンタルはまだオタ活やりすぎて二浪して親に多大な負担を負わせてしまった痛い経験から立ち直っていなかったのだ!(苦笑)

この悪循環(敢えて悪循環と呼ばせていただく)を断ち切るには、そんな逡巡を吹き飛ばすほどの強い萌えが必要だった。
2021年3月に、「囀る鳥は羽ばたかない」に出会ったときに、本当に脳天を殴られるような衝撃を受けた。内容はもちろんだけれど、ヨネダコウ先生の表現の美しさに惹かれた。
こういう表現を私もしてみたい、と、本当にウン10年ぶりに思った。
それを感じたとき、初めて、自分の中で、何かがいままで死んでいたことに気づいて、それからそれがその瞬間に息を吹き返したことを感じた。

折しも、本業の仕事は5年の契約期間終了が間近に迫り、それまでに結果を出せないことが重くのしかかってきていた。
このまま結果出さないでは終われない、という思いは今もかわらない。
それでも、毎日のようにコミックスを読み返して、暑苦しい感想や考察をtwitterやnoteに叩きつけるのを止められなかった。
まるで、10代の頃、翌日模試があるというのに、原稿を止められなかった頃の自分に戻ったみたいだ、と思った。

本業の仕事は終わったわけではないし(むしろ増えた)、実家の家業もNPOの仕事も減ったわけでは決してない。
それでも、嫌が応もなく、生活の中に、萌えの時間が復活した。
年甲斐もへったくれもない。心は10代のあの頃と同じである(笑)。
とくに4月5月あたりは、もう仕事クビされても仕方がないレベルで「囀る」にのめり込んでしまったのだ(本業は裁量労働制、かつ現在自宅勤務中につき…)。
流石に6月は、完全に放り出した副業の締め切りがいくつも重なったのと、本業の方も締め切りが迫って忙しくなってきたので、これはいかん、と、ためしに仕事時間管理アプリを入れて計測したところ、大変おもしろいことがわかった。

本業に最低7時間、副業に1週間で10時間かけたとしても、オタ活をする時間は平均で1日3〜4時間程度は作れる。
(※子供いないので、主婦の皆様よりは自由に使える時間があります)
というより、現状、それ以上オタ活時間を削れるメンタル状況にないのである(笑)。
つまり、1日最低3時間、または1週間で20時間強は、もう絶対に問答無用で萌え活動に費やされる。
それが一番にきて、その次に本業の時間を割り振って、最後に副業を詰め込む。

実はこれまでの私は、それはやっちゃいけないことだ、と強固に思ってきたのである。
なにしろ結果出ていないのだから、まず本業に時間を割り振って、次にどうしても急ぎの副業を詰めて、時間があまったらオタ活ね、というのが正しい時間割だと思ってきたのだ!

ところが、である。
この1ヶ月の自分の進捗状況を見ると、あきらかに、以前よりも進行度が上がっているのである! 本業でも、副業でも、である。
これには、正直、自分でも驚いた。
そして、同時に、「時間ダラダラやるのが一番よくない」という耳タコの通説の、本当の意味を理解した。

あの通説の意味するところは、時間の長さではなく、それぞれの時間の価値を等価に扱え、ということなんだと。
副業も、趣味も、食事も、運動も、睡眠も、すべて、である。
どれも、本業の都合で、削られてよい時間ではない。
もしも、削られてよい時間だったら、それはその時間にたいする見積もりが甘い、ということにほかならない。
その場合は、時間の見積もりを短くすればいいのであって、いきあたりばったりで「今日本業が終わらなかったから趣味の時間を削って…」というのが、一番ダメなんだ、というのが、「時間ダラダラやるのが一番よくない」の真の意味なんである。

そこのところを理解しないで、時間の長さだけで管理しようとしたから、これまでの私は失敗したのである。
なるほど!!!!(自分で納得!)


ほんとうにちょっとした意識の差なのだけれど、この差が存外に大きい、ということがよくわかった。
なにしろ、この時間管理を始めてから、オタ活やりながらでも常に頭の隅で本業のための時間を計算しているのである。今の状態から次のマイルストーンにもっていくまでにかかる時間が〇時間程度、それを来週までに3つクリアしなければならないから最小でも○時間はどこかで確保しないといけない、とか思いながらイラスト描いて遊んでいるのである(笑)。
この時間の見積もりというやつが結構大事で、仕事にかかる時間を見積る、ということは、そこでどんな作業が発生するかを逐一脳内で確認することに等しい。それが事前にできていれば、能率が上がるのは別に不思議でもなんでもない。
ただし、この見積もりをミスると、あとで時間が足りなくなってハマる。
そこで、忘れてはならない作業が、最初に直感した時間にπ=3.14を掛けることである。これは昔指導教官に教わったTipsなのだけれど、微妙に3倍でおさまらないところがミソである(笑)。

というわけで、大変逆説的だが、本業の優先順位を下げた結果、むしろ以前より真剣に本業の段取りを考えている、という状況が発生している。
これまで、とにかく漠然と、「気が進まねえけどやるか〜」とか思っていたのとはまさに雲泥の差!

漠然とやるのはイカン、というのは、これも耳タコのHow toだけれど、しかし、だからといって、人間、ご褒美もないのにそんなに自分を時間でしばれるほど強くはない。すくなくとも私はそうだ。
だから、先に好きなものの時間を配置して、残りの時間をその他に割り当てる方がいい。
その残りの時間で期待される成果が出せなかったとしたら、それは、そのポジションに自分の能力が届いていない、ということだ。
それを、オタ活時間を削れば、もう少し本業が進むかも、なんて思ったのが、そもそもの間違いだったのだ!


自分という人間の、約3割は腐の要素でできている。
それは、もう、変えることができない厳然とした事実である(笑)。
そしてたぶん、これまでの私は、ソレがあったからこそ、今の評価を得られているのだと思う。
とすれば、今この仕事で食っていけるのも、どうしようもない腐女子で仕事の締め切りが近づいてるのに原稿やってたりとかイベント行っちゃったりとかしていた過去があるから、なんである(笑)。

というわけで。
腐女子でよかった、とつくづく思った七夕の日の夜の話でした(笑)。

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